お姉ちゃん、兄さんを譲るから

「でも本当に分別がないわね。浪お兄さんが帰国したばかりなのに、こんなに心配させてなんて、そこまで愛されたいの？」

柴田裕香の軽蔑的な表情を見て、柴田浪は指の関節が白くなるほど拳を握りしめた。

前世では、柴田家は柴田裕香を掌中の珠のように大切にし、優歌を粗末に扱った。そして上の人を怒らせ、家族崩壊という結末を迎えた。

しかし、最も皮肉なことに、実の妹として育てた柴田裕香が、敵の味方となり、長兄に柴田家を破産させた女を受け入れさせようとしたことだった。

一方、愛情を受けたこともない優歌は、黙々と彼らの面倒を見る責任を担い、彼らに後悔の念を抱かせた。

柴田浪は深く息を吸い、「どうしてここに？」と聞いた。

柴田裕香は唇を噛んで、「浪お兄さん、この病院の院長は私の実の父なのよ。灰原優歌が父を傷つけたって聞いたわ」と返事した。

そう言って、柴田裕香は、柴田浪がきっといつものように自分を慰め、長兄に灰原優歌を遠ざけるよう頼むと思っていた。

しかし今この瞬間、転生後の柴田浪は柴田裕香と無駄話をする気が全くなく、心も目も彼の優歌が他の男と逃げようとしていることでいっぱいだった。

彼はいらだたしげに言った。「じゃあ、お前が看病すればいいじゃないか！」

すると、柴田裕香の表情が凍りついた。柴田浪がこんな風に話すとは思わなかった。

「浪お兄さん……」

柴田裕香が口を開こうとした時、柴田浪はすでに灰原優歌が去った方向へ走り出していた。しかし、彼女の姿はもう消えていた。

車内。

「アラス！」

灰原優歌は車に乗り、隣にシャツを着た小さな可愛らしい男の子がいることに気付いた。その整った顔立ちは向かいに座る男性にやや似ていた。

「最後の別れだ」

久保時渡は物憂げに手を拭っていた。

「どうして？うぅぅアラス、どうしちゃったの？！」

小さな可愛らしい男の子は泣きながら、濡れたアラスを抱きしめ、まだ幼さの残る甘えたような声に悲しさも混じっていた。

「坊ちゃま、アラスはこちらのお嬢様のペットです」

曽田助手は坊ちゃまが泣きはらした目を見て、思わず言った。

それを聞いて。

小さな可愛らしい男の子は急に顔を上げ、まばたきもせずに灰原優歌を見つめた。

灰原優歌がこの可愛らしい男の子は向こうの男の息子かもしれないと推測していた時、その男の子は意外な発言をした。

「お姉ちゃん、兄さんを譲るから、アラスを連れて行かないでいい？」

小さな可愛らしい男の子は鼻をすすった。

「……」灰原優歌はどう反応するべきかわからなかった。

今時の犬ってそんなに価値があるの？

空気は凍りついたままだった。

曽田助手も思わず心配になった。渡様が坊ちゃまを車から放り出すのではないかと。

久保集団の堂々たる社長が、ペットと交換されようとしているなんて不思議すぎるのだ。

「もう一度言ってみろ」

久保時渡の冷たい目線が男の子に向けた。

大奥様の縁談に迫られていなかったら、自ら犬を探しに来るなんてすることもないはずだった。

その可愛らしい男の子はそれを聞くと、アラスをさらに抱きしめ、目を赤くして涙が出そうだった。

兄さんは本当に自分のことを可愛がってくれないなんて。

その後。

可愛らしい男の子は灰原優歌を横目で見て、また小さな頭を上げて、「お姉ちゃん、じゃあ僕も一緒に姉ちゃんのところに行くよ」

どうしても犬と離れたくなさそうだ。

このとき、灰原優歌が口を開く前に、あの男が冷ややかに言った。

「曽田旭、車を止めろ。彼を屋敷に連れ戻せ」

可愛らしい男の子は信じられない様子で、「兄さんずるい！」と叫んだ。

それを聞いた男は嘲笑いながら、ゆっくりと言った。「国語の授業を週に二コマ増やすぞ」

その可愛らしい男の子があまりにも可哀想だったので、灰原優歌は眉を上げ、アラスの頭を撫でて言った。

「もう少しこの子と一緒にいてあげて、数日後にまた迎えに来るから」

アラスは名残惜しそうに灰原優歌に寄り添い、期待に満ちた目で小さな可愛らしい男の子を見た後、ついて行った。

しばらくして。

車内には二人だけが残った。

その男がゆっくりと灰原優歌に尋ねた。「本当に私に付き合っていくのか？」