彼女は久保時渡の袖を離し、視線を逸らしながら「喧嘩もダメなの?」と尋ねた。
なぜか、灰原優歌は久保時渡が自分の暗闇恐怖症に気付いたと感じていた。
灰原優歌が考える間もなく、隣の男性が再び手を伸ばし、悪戯っぽく彼女の髪を乱した。
「いいよ。でも、お兄さんは心配するよ」
髪の毛がもじゃもじゃになった灰原優歌は「……」
「何があったのか、僕の可愛い子がこんなに怒っているなんて」
男性の低くて心地よい声が、セクシーな喉仏の動きと共に漏れ出た。
久保時渡には分かっていた。灰原優歌が柴田おじい様のことを大切に思っていることを。彼女が夜中に出てきて密かに喧嘩をしようとする相手は、明らかに彼女を不快にさせた人物だった。
「私の大切な人に手を出したの」
灰原優歌は目を上げ、にこやかに久保時渡を見つめて「お兄さんみたいな人よ」と言った。
その言葉を聞いて。
久保時渡は逃げることなく灰原優歌を見つめた。
彼は低く笑い、また少し身を乗り出して「僕の優歌はそんなに凄いの?」
男性の砂を含んだような磁性的な声は、語尾が長く伸びて怠惰な響きを持ちながらも、人の心臓を高鳴らせた。「これからは、優歌がお兄さんを守ってくれるんだね」
灰原優歌は我に返って「……」
彼に手を出す人なんているの?
「でもその前に、優歌は何かあったら必ず僕に話してね」
彼は灰原優歌の手を握り、さも何気なく諭すように「優歌が怖くなくても、お兄さんは怖いんだよ」
灰原優歌は立ち止まり、目の前の男性を見つめた。
突然、とても馬鹿げた質問をしたくなった。
「お兄さんはどうして私にこんなに優しいの?」
灰原優歌は思わず口にし、一瞬後、何気なく彼と目が合い、まるで熱さに触れたかのように視線を逸らした。
彼の瞳は濃い黒色で、すぐに軽やかに口角を上げた。「それは——
僕の優歌には、望むものは何でも叶えてあげたいからだよ」
……
翌日。
灰原優歌は担任から見舞いの電話を受け、休暇を取った後、また病院へ向かった。
思いがけず、ドアを開けると金井雅守がおじい様と話をしているところだった。
「優歌?どうしてこんなに早く来たの?」
おじい様の目が輝き、声色は一層優しくなった。
灰原優歌は頷き、用意してきたおかゆをテーブルに置いた。「おじい様、食べました?」
「まだだよ」