橋本友香は私生児で、幼い頃から母親と一緒に暮らしていました。
彼女の母親と柴田治人の母親は親友でした。
幼い頃、母親は彼女を連れて柴田治人の母親を頼って行きました。
柴田夫人はとても優しい人で、常に母娘を大切にしてくれました。
一軒の家を無料で提供してくれただけでなく、高橋実紀のために柴田グループでの良い仕事も見つけてくれました。
二家は仲が良く、橋本友香も自然と柴田治人とよく会っていました。
柴田夫人は冗談で、二人の幼馴染婚を約束したいとまで言っていました。
高橋実紀は若い頃仕事に没頭し、よく橋本友香を柴田家に長時間預けっぱなしにしていました。
幼い頃、橋本友香と一番多くの時間を過ごしたのは柴田治人でした。
彼は良いお兄さんで、暇があれば彼女を連れて遊びに行き、たくさんのものを買ってくれました。
橋本友香は彼のことが大好きで、毎日彼にべったりで、柴田治人も彼女を可愛がっていました。
言わば、橋本友香の幼少期の思い出には、ほとんど柴田治人しか存在しませんでした。
後に柴田夫人が重病で亡くなり、橋本友香は長い間彼に寄り添い、母親を亡くした悲しみから立ち直るのを助けました。
そしてその頃から、二人は密かに付き合い始めました。
その時、橋本友香はまだ十五、六歳で、柴田治人は彼女より数歳年上でしたが、まだ血気盛んな少年でした。
しかし二人とも自制心があり、決して境界線を越えるようなことはしませんでした。
ところが、橋本友香の16歳の誕生日の日、二人は酔っ払って、抑えきれずに関係を持ってしまいました。
でも二人とも後悔はしていませんでした。お互いに好きで、将来は一緒になろうと決めていたからです。
しかし間もなく、すべてが変わってしまいました。
柴田さんと高橋実紀の不倫関係が発覚したのです。
彼らは結婚までも考えていました。
橋本友香と柴田治人は、二人が付き合っているなんて思いもよりませんでした!
いつから関係があったのでしょうか?
様子を見ると、おそらく柴田夫人が亡くなる前からだったのでしょう。
母親が裏切られ、しかもその相手が橋本友香の母親だったことは...柴田治人に大きな衝撃を与えました。
柴田治人は結婚に猛反対し、柴田さんも一人息子の気持ちを無視するわけにはいきませんでした。