人として最低限の恥を知れ

政氏は一瞬言葉を失った。確かに、粟との契約には不合理な点があまりにも多いことは理解していた。粟はその契約を有効だと認めているが、関連機関に無効を求めることができるとは思っていない。

彼は契約のことで粟を縛りつけようとしていただけなのに、今日の粟はあまりにも強気で、自ら首を絞めかねない状況に追い込んでしまった。

「それなら、林監督があなたを招待したバラエティ番組は美緒に任せる。結局、招待されたのは我が社のタレントだから、あなたが去るなら、もちろんあなたが行くことはない」

粟は心の中で冷ややかな笑みを浮かべた。ここまで回り道をして、ようやくここで待ち構えていたのか。

このバラエティ番組は、彼女が林監督の娘が突然喘息の発作を起こした際、勇敢に助けたことがきっかけとなった。その恩返しとして、売れていない彼女に一流タレントの仕事を回してくれたのだ。

オファーが来た日、美緒はすでにそのことに執着していた。亜矢との食事に誘ったのも、ただパパラッチに既婚監督との不倫を暴露させ、評判を落として番組への出演を阻止しようという意図からだった。

「自分で林監督に聞いてみなさい。求めているのは紫音エンターテインメントか、それとも私、矢崎粟か。少しは恥を知りなさい、あまりにも厚かましすぎるわ」言い終わると、粟は矢崎家の者の言葉に耳を貸さず、未練なくその場を離れた。

矢崎邸の大門が重く閉まるや否や、美緒の悲しげな声が別荘内に響き渡った。

「父さん、母さん、どうしてこんな風に粟を行かせてしまったの?何年も探し続けてきたのに、私のせいでこんなことに。全部私が悪い。山川監督の背景をちゃんと調べなかったせいで、粟とお父さん、お母さんの仲を裂いてしまった。私が出て行こうか?そうすれば、粟ももう怒らないでしょう」

この数言で、まだ少し未練と物悲しさを感じていた美登里は、瞬時にそれが全て粟の自業自得だと気づいた。

「美緒、全ての責任を一人で背負わないで。彼女はただ私たちを脅しているだけよ。誰が矢崎家に逆らえる?誰が紫星の圧力に耐えて、彼女と契約できるか、見ていましょう。矢崎家を離れたことで、自分が何者でもないことを痛感すれば、自然と謝りに戻ってくるはずよ」

そして正宗は娘に面子を潰され、今、改めて美緒がこんなにも素直で分別があるのを見て、粟には少し懲らしめが必要だと感じ始めた。

一方、矢崎家を離れた粟は、気分爽快で、身も心もすっかり晴れやかになり、矢崎家の者がどう反応しているかなど、もはや全く気にしていなかった。

彼女は正宗からもらった銀行カードの残高を一銭残らず、障害児を専門に受け入れている孤児院に寄付し、その後、かつて住んでいた小さなアパートに戻った。

ここは彼女が帝都に来て初めてのまともな住まいで、多くの思い入れがあった。そのため、矢崎家に戻った後も解約せず、差別的な扱いを受けるたびに、ここを避難所として心を癒していた。

彼女は簡単に片付けを済ませると、ソファに体をゆっくりと沈めた。

つい先ほど、彼女のアシスタントからメッセージが届いた。矢崎家は業界全体で彼女を締め出そうとしているという。これは彼女に頭を下げて謝らせるための圧力だが、粟はもちろん屈服するつもりはなかった。

彼女の長く白い指がリズミカルにソファを叩きながら、未来の方向性を思案していた。

そのとき、携帯の通知音が静かな部屋に響いた。

「紫音と契約解除したのか?」

それは幼なじみの彼氏、矢野常(やの つね)からのメッセージだった。

常と言えば、かつては粟の心の中で唯一の光だった。

粟は四歳の時、人身売買の犯人に誘拐され、暴力を振るわれ、物乞いを強要された。幸いにも後に師匠に引き取られ、常はその養父の隣人の子供だった。

常は彼女より三歳年上で、臆病で怯えがちな粟に、いつも深い愛情を注いでくれた。いじめる子供たちを追い払い、傍らで物語を語り、手を取って陽の光を感じさせ、少しずつ暗闇から彼女を導き出してくれた。

かつて、彼は粟の目には、金色の光を纏った神のように、高貴で偉大、そして温かく映っていた。

十六歳の時、常は父親に帝都へ連れ戻されてしまった。彼に再会するため、粟は必死に勉強し、帝都の名門映像芸術学院に合格した。

そして、順調にデビューを果たし、芸能界に足を踏み入れることができた。

彼女は覚えている。初めての作品がクランクアップした日、常が彼女を祝って連れて行き、酒の勢いで告白すると、常は静かに頷き、二人は正式に恋人同士となった。

彼女はかつて、常の心の中で自分が唯一無二の存在だと信じていた。

しかし、結局は自分を欺いていただけに過ぎなかった。

粟はチャットの背景画像を見つめ、彼女と矢野常の二ショット写真をじっと見つめながら、自嘲的に笑った。

指が素早く携帯のキーボードを叩き、淡々とした「うん」という返事を送った。その返事には、何も感じていないかのような冷たい響きがあった。