粟が常をブロックしたばかりのとき、アパートのドアが開き、アシスタントの夏川雲子(なつかわ くもこ)がスーツケースを持って入ってきた。
その様子を見た粟は、急いで立ち上がり、迎えに行った。
「どうして電話してくれなかったの?下まで迎えに行けたのに。このスーツケース、重そうじゃない?」
目が覚めた後、粟は矢崎家から早く離れることばかり考えていて、荷物を整理する余裕がなく、雲子に迷惑をかけてしまった。
雲子は粟がデビューした時からずっと側にいて、彼女のサポートをしてきた。粟が紫音に移籍した際も、以前の事務所を一緒に辞めたものの、紫音には入社せず、ずっと粟から給料を受け取って働き続けていた。
「大丈夫?」雲子が心配そうに尋ねた。
明らかに、粟と最も長い時間を共に過ごしてきた雲子は、彼女と矢崎家との複雑な関係について多少は知っていた。彼女は粟が辛い思いをするのを見たくはなかったが、他人の家庭の問題に口を出すこともできず、黙って見守るしかなかった。
「私は元気よ、むしろ心が晴れ晴れしているわ」粟は嘘をついていなかった。彼女を気にかけない人々から離れたことで、彼女の人生は確かに明るくなっていた。
「今回はどうしてこんなに深刻なことになったの?」雲子は心配そうに尋ねた。「政氏と弘が警告を出したわ。どの芸能事務所があなたと契約を結べば、紫音と対立することになるって。今、小さな事務所はあなたと契約する勇気がないし、大手の事務所も多かれ少なかれ紫音と協力関係があるから、政氏が直接言い出したことだし、面子を立てないわけにはいかないでしょう」
雲子は何も隠さなかった。彼女は粟が現状をしっかりと理解する必要があることを知っていた。それによって、何かしらの対策を考えられるかもしれない。しかし現状では、粟がもう芸能界で立ち直ることは、基本的に不可能だという現実があった。
「私と契約する勇気がないなら、自分で事務所を立ち上げればいいじゃない。自分で自分の仕事をすれば、気楽でしょう」粟はスーツケースを開けながら、中から服を整理しつつ、軽く笑いながら答えた。
実は彼女はすでに考えていた。システムは彼女に、ライフポイントと交換できる人気やフォロワー数が彼女個人に限らないと言っていた。つまり、彼女の会社、彼女が契約するタレント、そして彼女が撮影する映画も、大衆の好感を得てライフポイントを獲得するのを助けることができるということだ。
「でも今は誰もあなたを起用してくれないわ」雲子はカーペットに座り、両手で頬杖をつきながら、心配そうな表情を浮かべた。
「確かに今はね」粟は天井を見上げて、少しの間考え込んだ。
「でも林監督のバラエティ番組があるでしょう?彼から出演キャンセルの連絡はまだないわ。それなら、八割の確率で私がまだ参加できるってことよ。バラエティ番組で結果を出して、人気とファンを獲得すれば、仕事に困ることなんてなくなるわ」
雲子はその言葉を聞いて、不思議そうに粟を見つめた。今日は特に明るく、陽気な粟に驚いていた。今までの彼女とは何かが違う。以前の粟は、どこか憂鬱で落ち込んだ雰囲気を漂わせていたのに、今はまるで全身から光を放っているかのように、輝いて見える。
状況は決して楽観的ではなかったが、粟がそう言うなら、雲子は彼女ならきっとできると信じていた。粟の強さと決意が、どんな困難にも立ち向かう力を与えると感じていたから。
翌日、粟は早起きして、窓の外に広がる生まれ変わって初めての日の出を見つめながら、心に希望を抱いていた。新しい一歩を踏み出す決意を固め、その光が彼女の未来を照らしているように感じた。
林監督からの返事は来ないと確信していたが、それでも粟は番組のスタジオに向かい、レギュラー出演者として契約を結んだ。
粟がまだ林監督と挨拶を交わしているところに、弘が美緒を連れてやってきた。
「林監督、こちらは私の妹、美緒です。デビューしたばかりですが、どうぞよろしくお願いします」
弘は右手を差し出し、礼儀正しく紳士的な態度で接した。
そして彼の隣に立つ美緒は、林監督にも挨拶を済ませると、粟を見た瞬間、得意げな表情を隠せなかった。まるで「あなたがいなくても、私は簡単にトップクラスの仕事を手に入れられる。あなたには何ができるの?」と言わんばかりだった。
まるで子供がおもちゃを自慢するような幼稚な態度を、粟は理解できなかった。彼女は軽くため息をつき、目を逸らしながら、優しく林監督に別れを告げてその場を後にした。
しかし、ドアを出たところで、弘と美緒が追いかけてきた。
「粟、最近元気?どこに住んでるの?安全?怒らないで、やっぱり家に戻ってきたら?」
美緒は粟の手を掴んで、優しく語りかけた。
その甘ったるい声に、粟は思わず鳥肌が立った。
時々、粟は美緒に感心することがあった。彼女はいつでもどこでも仮面をかぶり、行く先々が舞台のように振る舞っていた。
「手を離して。この前言ったことが足りなかった?」粟は美緒の手を振り払い、涙を浮かべた彼女を冷たい表情で見つめた。
「姉さん、その涙は無駄よ。私には効かない。私とあなたは他人同然。これからは親しげに呼びかけないでください」