662 結婚届を出していない

矢野寿は頷いて言った。「当時、私は彼女を信用していなかった。結婚証明書を取得すると面倒なことになると分かっていたので、ずっと先延ばしにしていた。後で彼女に、矢野家の若様として役所の人に来てもらえると言って、数人の役者を雇って演技をさせ、偽の証明書を作った。」

彼は一旦言葉を切り、続けて言った。「当時、彼女は私が彼女に夢中だと思い込んでいたので、この点にこだわらなかった。これほど長い年月が経っても、彼女の心は裏切り者の男にあり、何の不自然さにも気付かず、このまま隠し通せた。」

二人とも未婚の状態で、法的な保護は一切受けられない。

法律上も、財産分与の必要はない。

矢野常はまだ不安が拭えず、眉をひそめて尋ねた。「でも父さん、彼女と結婚式は挙げたの?もし挙げていたら、事実婚になってしまって、法律上でもお金を分けなければならなくなるよ。」

矢野寿は首を振った。「当時、弁護士に相談して、その違いを理解していたから、もちろん彼女とは結婚式を挙げなかった。体調不良を理由に先延ばしにして、その後お前の母が妊娠して体調を崩したので、ずっと挙げなかった。ただし、澤家には結納金を先に渡すと約束した。澤家の者はすぐに同意し、澤蘭子を説得した。澤蘭子はもちろん反対せず、ただずっと矢野夫人を自称していた。」

矢野常は思わず親指を立て、感心した表情を浮かべた。

父親は当時、自分と同じくらいの年齢だったはずなのに、こんなにも緻密な思考ができていた。さすが矢野家の後継者だ。

矢野朱里は目を丸くして、複雑な表情で言った。「じゃあ、伯母さんはお父さんの彼女という立場でしかないの?」

そう考えると、事態はずっと単純になる。

「そうだ、その通りだ。」矢野寿は頷き、水を一口飲んで、落ち着いた様子を見せた。

彼は理由もなく計略にはめられ、矢野常という子供までできた。慎重に対処しなければ、矢野家全体が破滅していただろう。

このような状況で、矢野寿が澤蘭子に対して慈悲の心を持ち続けることは不可能だった。優柔不断であれば、被害を被るのは矢野家の人々だけだった。

それに、澤蘭子は同情に値しない。

澤蘭子が最も愛しているのは裏切り者の男で、そうでなければ矢野徹をそれほど可愛がり、矢野常を使い走りのように扱うはずがない。

「すごいな!」矢野常は感心して言った。