深木雫は水を一口飲み、コップを置くと、艶やかな唇を開いて言った。「撮影に行くのが面倒だし、それに写真より絵の方が雰囲気が出ると思うの」
この理由には反論できなかった。
坂本加奈は店内を見回して「じゃあ、どこで描けばいいかしら?」と尋ねた。
「あそこよ」深木雫はレジ台の横を指差した。「そうそう、私ずっとここに座ってなくてもいいでしょ?何時間も座ってられないわ」
坂本加奈は首を振り、自分のバッグを持ってレジ台の横に移動した。イーゼルを立てながら「好きにしていいわ、私のことは気にしないで」と言った。
これは深木雫の思い通りだった。
坂本加奈は絵を描くのに必要な道具を取り出し、適当な高さの椅子を見つけると、まず鉛筆で下書きをし、それから少しずつ色を重ねて細部を描き込んでいった。
深木雫は当然、自分の香水作りに没頭していた。彼女にとって、一本一本の香水は宝物なのだから!
香水店には穏やかな音楽が流れ、空気には微かな香りが漂っていた。二人とも会話を交わすことなく、客も来ない静かな雰囲気の中にいた。
西村雄一郎は心中穏やかではなかったが、それでも深木雫の店の外まで来て、ガラス越しにイーゼルの前に座る坂本加奈の姿を見つめずにはいられなかった。
愛らしい顔立ちには真剣な表情が浮かび、澄んだ瞳は集中に満ちていた。白い指が筆を持ち、一筆一筆を丁寧に、生き生きと描いていく。
西村雄一郎の眉間に刻まれていた苛立ちは徐々に薄れ、スマートフォンを取り出してガラス越しに一枚写真を撮った。
手元の写真を見つめながら、指先で彼女の頬を撫でるように触れる。まるで狂気的なファンが憧れの人の姿を盗撮したかのように、目には深い愛着の色が浮かんでいた。
彼女と一緒に絵を描けたらどんなに素晴らしいだろう。
西村雄一郎はあまりにも見入っていたため、深木雫が長い間ドアの所に立って彼を見ていることに気付かなかった。
「海野様、密室脱出ゲームとギャラリーだけじゃ物足りなくて、私の店の前で見張りですか?あまり良くないと思いますけど」深木雫は腕を組んで、美しい顔に意味深な笑みを浮かべた。「私にはあなたの出演料は払えませんよ」
西村雄一郎は我に返り、すぐにその夢中になった表情を消し去り、冷たい声で言った。「勘違いするな」