第612章:まだ足りないの?

田中静佳が会社に入ると、多くの人々が森口社長のオフィスの前に集まり、あれこれと議論しているのが見えた。

写真を撮っている人さえいた。

「何をしているの?」

冷たい声に、全員が鳥獣のように一斉に散っていった。

田中静佳は、オフィスの中で二人が窓に向かって目を閉じて眠っているのを見た。陽の光が二人の顔に降り注ぎ、まるで一枚の絵のようだった。すぐに状況を理解した。

会社の人々に向かって言った。「黒川社長は昨夜、会社で徹夜して疲れていたので、森口社長が感謝の意を込めてオフィスで休ませているだけです。誰も森口社長のことを勝手に噂してはいけません。それに、さっき写真を撮った人は写真を削除してください。もし森口社長の写真がネットに出回ったら、責任は自分で取ることになります。」

彼女の言葉を聞いて、全員が即座に自分の席に戻って仕事を始めた。誰も余計なことを言う勇気はなかった。

写真を撮った人も黙って削除し、隣の人に小声でつぶやいた。「何様のつもりだよ!森口社長の目には犬以下なくせに、松岡部長の前では屁一つ出せないくせに。」

田中静佳はその耳障りな言葉を聞かなかったふりをした。たとえ聞こえても、他人が自分をどう思おうと気にしなかった。

オフィスの方を横目で見ながら、森口社長にとってこのような機会は貴重だと分かっていたので、邪魔をするべきではないと思った。しかし……

もうすぐ松岡お嬢様が来る。もしこの光景を見たら、また黒川社長の機嫌を損ねることになるだろう。

黒川社長が不機嫌になれば、森口社長も喜ばないはず……

田中静佳は深く息を吸い、指先を曲げてガラスドアをノックした。

リズミカルな数回のノックで、黒川詩織はすぐに目を覚ました。目を開けると、車椅子に座っている森口花が見えた。

顔色は青ざめ、眠っていても眉間にしわを寄せ、疲れた表情をしていた。

視線をオフィスのドアの外に向けると、田中静佳がドアを開けて静かに入ってきた。「黒川社長、8時40分です。」

声を抑えめにして、まだ眠っている森口花を起こさないようにしていた。

黒川詩織が立ち上がると、身に着けていた男性用のジャケットが床に滑り落ちた。

かがんで拾い上げたが、森口花にかけるのではなく、田中静佳に渡した。

「私は先に戻ります。何かあったら連絡してください。」