遠慮はいらない

林駆が朝、3組の教室へ馬場絵里菜を訪ねていったという話は、あっという間に広まった。午前中のうちに、学校中のほとんどの生徒がそのことを知り、様々な憶測を含んだ噂が飛び交い始めたが、二人が実際に何を話したのかを知る者は誰もいなかった。

昼休み、学校の食堂にて。

第二中学校の食堂は、校舎の右手に建てられた、かなり広い面積を持つ2階建ての建物だ。メニューも非常に充実しており、ご飯や炒め物、パンや麺類といった定番のものに加え、ラーメンやカレー、丼物など、様々な種類の食事が用意されており、味もなかなかのものだった。

林駆は食堂の入口に立っていた。人の流れの中に、遠目にも絵里菜の姿が見えた。彼女は以前と同じように、きちんとアイロンのかかった制服を着て、シンプルなポニーテールを結っている。

だが、今の絵里菜は、林駆の目には以前とは全く違って見えた。かつてのように俯いて人混みに紛れるのではなく、全身から周囲とは異なる独特の雰囲気を放っていた。透き通るような肌は輝くのようで、顔には何の表情も浮かんでいないのに、不思議と人目を引くのだ。

絵里菜も林駆に気づき、足早に近づいてきた。「待ってたの?」

林駆は軽くうなずいた。「入ろう」

二人が一緒に食堂に入ると、またしても周囲から驚きの視線が集まった。午前中に飛び交った噂が再び格好の話題となり、生徒たちは三々五々集まってひそひそと囁き始めた。

「マジかよ!あの二人、本当に付き合い始めたのか?」

「どういう状況だよ、これ?馬場絵里菜だろ?林駆が彼女を?」

「いつもぼーっとしてる子なのに、ほんと、バカに福ありってやつか」

「ふん…見てなよ、どうせ長くは続かないって」

「そうだよな。学校で林駆のこと好きな女子なんて、100人とは言わないまでも80人はいるだろ。馬場絵里菜の平穏な日々も終わりだな」

実際のところ、高校で男女が付き合うこと自体は、別に珍しい話ではない。ただ、この二人の場合、周囲の認識における地位があまりにも違いすぎたのだ。

林駆は学校のバスケットボール部のエースであり、成績優秀な秀才でもある。さらに、実家は国内でも有名なアパレルブランドを経営しており、その資産価値は数十億円とも言われる。学校においては、間違いなくトップクラスの人気者の一人だ。

一方の馬場絵里菜はどうか。下町から来たシンデレラ。毎日、勉強にばかり打ち込んでいる、いかにも貧しい家庭の子が学習機会を大切にする、という典型例。人付き合いも悪く、クラスメイトの集まりやイベントにも参加しない。まるで影の薄い存在で、自分から誰かに絡むこともなければ、基本的に誰からも相手にされないような生徒だった。

そんな、まったく接点のないような二人が、まさか「付き合う」ことになったの?誰だって、到底受け入れられるはずがなかった!

周囲の噂話を、絵里菜と林駆も当然耳にしていた。林駆は隣で小声で言った。「また誰かに絡まれるのが怖くないのか?」

「面倒に巻き込まれることと比べたら、1ヶ月の無料ランチのほうが魅力的だわ」絵里菜は淡々と答え、噂されていることに対して少しも気まずそうな様子を見せなかった。

林駆はますます奇妙な感覚に襲われた。絵里菜とはあまり接点がなく、彼女のことをよく知っているとは言えない。それでも、彼女が以前とは違う、全く別人になってしまったように感じられた。まるで、周囲の人間や出来事すべてが、彼女の目に入っていないかのようだ。全身が、人を寄せ付けない雰囲気の感じがする。今、こうして隣に立って話していても、林駆は自分と絵里菜の間に、越えられない境界線があるように感じていた。

これが本当に、俺のラブレターを受け取った後、頬を赤らめて俺の前に走ってきて『林くん、私も好きです』って言った、あの馬場絵里菜なのか…?

ようやく食事を受け取るカウンターの順番が来た。林駆は絵里菜を見て尋ねた。「何が食べたいか見てみなよ。俺に遠慮はいらないから!」