第695章:私を裕人と呼んで!

馬場絵里菜は井上裕人がまた料理を取り分けてくれると思っていたので、彼と正面から対決する準備をしていたが、意外にも井上裕人は調子に乗ることはなかった。

むしろ、馬場絵里菜が取り分けた料理を黙々と食べ始めた。

馬場絵里菜:????

台本を間違えた?なぜ自分が想像していたのと違うの?

井上お爺さんはその様子を見て、タイミングよく声をかけた。「お嬢ちゃん、私と少し赤ワインを飲まないか?」

「はい、いいですよ」馬場絵里菜はすぐに頷いて答えた。

井上雪絵も嬉しそうに応じた。「お爺ちゃん、私も少し飲みたい」

「いいとも!」井上お爺さんは笑顔で頷き、井上裕人の方を見た。「じゃあ、裕人も一杯どうだ!」

ところが、牛ヒレを食べていた井上裕人は顔を上げ、淡々とした口調で言った。「僕は遠慮します。この後、絵里菜を送らないといけないので」

これは井上裕人が初めて馬場絵里菜の愛称で呼んだ瞬間で、馬場絵里菜は電流が走ったかのように、つま先から頭までビリビリと感じた。

すぐさま応答した。「結構です。自分で帰れますから」

今度は井上裕人が口を開く前に、井上お爺さんが先に言った。「やはり裕人に送ってもらいなさい。夜道を一人の若い娘がタクシーで帰るのは危険だし、この辺りはタクシーも拾いにくいからね」

ここは高級住宅街で、各家庭が何台も車を所有しているような富裕層の住宅地だった。タクシーがこの辺りを自主的に通ることは稀だった。

「そうよ、絵里菜。お兄ちゃんに送ってもらって。どうせ食事の後、市内に戻るんだから」井上雪絵も同調した。

馬場絵里菜は心の中で黙り込んだ。井上雪絵と井上お爺さんの笑顔を見つめ、隣にいる井上裕人の気配を感じながら、まるで狼の巣に入り込んでしまったような錯覚を覚えた。

突然、井上邸に来客したことを後悔し始めた。

幸いなことに、夕食の後半は井上裕人が大人しく、他の不可解な行動を起こすことはなかった。

夕食後、馬場絵里菜は井上お爺さんとしばらく話をしてから、やっと立ち上がって別れを告げた。

夕食時に赤ワインを一杯飲んだだけで、特に何も感じなかった馬場絵里菜だったが、別荘の玄関を出ると、夜風が顔に当たり、少し酔った感じがした。