白川華怜は簡略譜でこの曲のメインメロディーだけを記録した。それはこの曲の骨格と魂だった。
しかし、古代人として現代の楽器についてはあまり詳しくなかった。
一つの曲の編曲は本当に重要だ。
編曲者は様々な音楽理論を理解し、様々な楽器を組み合わせて伴奏を作り、音楽をより豊かにする必要がある。
幼い頃から音楽に親しんできた藤野信勝にとって、それは難しいことではなかった。彼は多くの編曲に携わってきた。音楽ライブラリーすら必要としない。才能あふれる音楽学院から誰かを適当に捕まえれば、その場で編曲に必要な部分を演奏してもらえるのだから。
順子さんはUSBメモリと二枚の紙を片付けながら、「帰ってすぐ聴いてみます」と言った。
実際、順子さんは白川華怜がこんなに短時間で作詞作曲したことにあまり期待していなかった。結局、彼女はプロではないのだから。
順子さんだけではない。
白川華怜も自分と順子さんたちの間には世代のギャップがあるかもしれないと感じ、この時代に自分の美的センスが受け入れられるかどうか分からなかった。
少し考えてから、順子さんに「聴いてみて、合わなければそれでいいです」と言った。
白川華怜は様々なことを学んできた。お箏は江渡一の琴師から習った。その琴師は当時たった二人にしか教えなかった。
彼女と第三皇女、お安姫君は彼女より上手くなければならなかった。
当時は天下にお箏を弾ける人があまりにも多く、百花繚乱、琴を通じて友を作った。
女性に対する要求は今よりもずっと厳しかったが、お安姫君は十六歳という若さでその中から頭角を現した。
残念ながら、お安姫君は学び終えることができなかった。彼女は琴を白川華怜に託し、十八歳で一人で政略結婚に赴いた。
その後、白川華怜も学び終えることができず、戦場へと向かった。
今では多くの短編動画で、宮山小町を含め、大永のこの時代の歴史を編集している。みんなこの歴史は二度と繰り返せないと言う。なぜなら、一ページ一ページめくるたびに後悔が残るからだ。
「春姫ちゃんは今夜帰って録音しなければならないし、明後日から撮影が始まります」と山田のお母さんは裏庭にいる子供たちを見ながら言った。「今夜はみんなここで食事しましょう。材料は全部買ってあって、山田のお父さんが洗っておいてくれました」