彼は書斎のドアを開けに行った。
白川華怜は窓辺に寄りかかったまま、外を眺めていた。
団地の明かりは点いていて、金曜日なので、賃貸に住む大学の友人たちのほとんどが家にいた。江渡大通りの街灯は昼のように明るく、この時、万家の灯りが全て彼女の漆黒の瞳に映り込んでいた。
白い指先で真っ赤なバラを緩く持ち、まるで城楼から万家の灯りを見下ろすかのようだった。
木村浩はドアノブに手をかけたまま、静かに彼女を見つめていた。
山河は遥かに広がり、人の世は星河のよう。
「一本だけだよ」木村浩は体を傾け、書斎のドアを閉めながら、彼女が持っているバラを見て、ふと笑みを浮かべた。「よかった、潰れてなかった」
白川華怜は横目で彼を見て、「花瓶がないわ」と言った。
木村浩は彼女の傍に歩み寄り、さらりとした口調で「明石真治に買いに行かせよう」と言った。