瑶子は星澄が大きな荷物を抱えて玄関に現れるのを見て、すぐに異変を察した。
「これって...家出?」
星澄は荷物を部屋の中に運びながら、淡々と答えた。「違うよ」
「じゃあ、何なの?」
「霧島冬真と離婚することになったの。あそこには住みたくないから、先に出てきた」
瑶子は大きなショックを受けた。「は!? 離婚!? ……ちょっと、あんた正気なの!?」
昨日、星澄の誕生日の時、冬真が夜一緒にいてくれると約束したから、嬉しくて料理をたくさん作ったばかりじゃない。
なのに今日、二人は離婚することに。
展開が早すぎて、ついていけない。
星澄は荷物を抱えながら息を切らし、淡々と返した。「うん、本気。……っていうか、見てないで手伝って」
瑶子はようやく動き出し、星澄の荷物を部屋の中に運び入れた。
最後には二人とも疲れ果てて、ソファーに倒れ込んだ。
瑶子はしばらく休んでから、我慢できずに尋ねた。「星澄、一体どう考えているの?なぜ突然冬真と離婚するの?あの人は霧島若様よ。霧島グループの最年少社長で、全国一の富豪じゃない!女性たちが夢見る理想の男性よ」
星澄は彼女を横目で見て、「じゃあ、その富豪をあなたにあげるわ。どう?」
瑶子は即座に両手でバツを作り、正論を述べた。「だめだめ!そんなクールで面白みのない男性なんて、タダでもいらないっての!私はやっぱり、甘えん坊なワンコ系男子が好き〜。優しくて、素直で、いつもくっついてくれるタイプ!」
星澄は淡い唇をわずかに引き上げて、ぼそっと言った。「だからいいのよ。もうあの人とはやっていく気ないし、実家にも帰れないから、こっちに来た。それで問題ないでしょ?」
瑶子は即座に答えた。「あるわけないでしょ。この家は私たちで一緒に買ったんだし、あんたにも持ち分がある。ここはあんたの家でもあるのよ。……でも、ほんとに離婚するって決めたの?」
「うん。ちゃんと考えた。私が言わなくても、きっとそのうち向こうが言い出してたと思う」
「どうして?」
「梁川千瑠が帰ってきたの」
瑶子は梁川千瑠の名前を聞いた瞬間、ブチ切れた。「は!? あのぶりっ子、よくもまあ今さら戻ってこれたもんだね!」
「あの時、冬真が事故で、医者から脳に損傷があって一生植物状態可能性があると言われた時、千瑠はビビって翌日にはさっさと海外に逃げたのよ。植物状態の人の面倒なんて、一生見たくなかったんでしょうね」
「結局、あんたが看護師のふりまでして、昼も夜も関係なく、半年以上も彼のベッドのそばで看病し続けて……ようやく奇跡的に目を覚ました。そのあとだって、半年間ずっとリハビリに付き添ってたじゃない」
「今、冬真は元気になって、霧島グループの社長様。そしたら千瑠がご帰国ですって?なにそれ、できあがった男を横取りって!?冗談じゃないわ!」
当事者の星澄は、瑶子よりもずっと冷静だった。「たぶん、冬真が愛しているのは彼女で、私じゃないからでしょう」
「千瑠は昨夜帰国して、冬真が直接迎えに行ったの」
もし千瑠が本当に暗いところが怖くてタクシーに乗れないのなら、冬真は家の運転手を送ればよかったのに、そうしなかった。
これだけでも十分わかるでしょう。
星澄にプライドがなくても、夫の不倫は受け入れられない。
これは譲れない一線。
瑶子は怒りをあらわにした。「霧島冬真って本当に最低ね。一年もかけてリハビリを支え続けた奥さんを捨てて、金目当てで逃げた腹黒女のほうを選ぶなんて!目が節穴なの!? 誰が一番尽くしてきたかなんて、見ればすぐわかるでしょ!」
「もういいの。離婚さえすれば、彼が誰といようと、それは彼の自由よ」離婚を切り出した時点で、冬真と今後一切関わるつもりなど、彼女にはなかった。
けれど、瑶子はどうしても納得がいかなかった。星澄がどれほど冬真を想い、どれだけのものを犠牲にしてきたか、誰よりも知っているからだ。
このまま離婚するのは、あまりにも不公平すぎる。
瑶子は星澄の肩をつかみ、清楚で色白なその顔を真剣な表情で見つめながら言った。「いい?離婚するにしても、タダじゃ済まないからね。あいつから一枚皮を剥ぐくらいの覚悟で、がっつり慰謝料を取ってやるんだから!」
慰謝料、か。
星澄にとって、それはどうでもいいことだった。彼女が気にしていたのは冬真のお金ではなく、ただ彼が信じてくれなかっただけ。
「金額なんてどうでもいい。離婚はするって決めたから。書類ができたら、送ってもらえばサインして返すだけでいいって伝えてある」
「瑶子、今日は一日中バタバタしてて、ちょっと疲れた。少し休ませて」
「うん、ゆっくり休んで」瑶子は星澄のことが心配でたまらなかった。彼女の背中を見送りながら、思わず小さくため息をついた。
彼女はいつも冬真のことばかり考えすぎて、自分を苦しめている。
星澄は寝室に向かった。
そのまま翌日の昼まで眠り続けた。
スマホはいつの間にか電池切れで電源が切れていた。
充電してしばらくすると、冬真からの電話もメッセージも何もないことに気づいた。
離婚協議書はもう書き終わったのだろうか。
マンションの住所を教えないと、送ってこられないはず。
早く決着をつけたいと思い、星澄から冬真に電話をかけた。
冬真のスマホに星澄の名前が表示された。
いつも無表情な彼の端正な顔に、かすかな笑みが浮かんだ。
昨夜帰らなかったことで懲らしめたから、今頃謝りに来たのだろう。
星澄はしばらく待ってようやく電話が繋がると、無駄話はせずに直接尋ねた。「離婚協議書は準備できた?」