浅野武樹は足を止め、胸が痛くなった。
小山千恵子がこんな風に呼んでくれなくなってどれだけ経つだろう。
小山千恵子は恥ずかしがり屋で、付き合い始めてから結婚後まで、「旦那様」と呼ぶことはなかった。
二人きりの時以外は。
呼ぶ時は甘えるか許しを乞うかで、その呼び方には色っぽい響きが含まれていた。
浅野武樹は一瞬我を忘れ、強引に心を鬼にした。
目を閉じ、長い脚で浴室を出た。
田島さんと使用人たちが次々と入ってきて、浅野武樹は主寝室を出て、書斎に自分を閉じ込めた。
もう一切の心の揺らぎや迷いを許さなかった。
浅野武樹はその壁の前に立った。
母の悲惨な死の様子が、彼の目に映り続けた。
誰が清算すべきかわからないこの古い借りは、小山千恵子に返してもらうしかない。
タバコに火をつけ、浅野武樹は書斎のテラスを行ったり来たりし、心は落ち着かなかった。