第35章 彼は小山千恵子に懇願してほしかった

浅野家の警備員が階段を駆け上がり、転がり落ちた車椅子を必死に支えた。

桜井美月は階段に柔らかく倒れ込み、急いで上がってきた浅野武樹に抱きとめられた。

「どこか怪我した?」

男の緊張した表情と声色が、小山千恵子の目を刺すように痛めつけた。

傍から見ると、高慢で冷酷な浅野武樹が、人を気遣うときはこんな様子なのだと。

でも彼の瞳の中のその優しさは、もう彼女のものではなかった。

桜井美月は浅野武樹の袖をしっかりと掴み、今にも泣き出しそうな様子で、しかし目は上の方にいる小山千恵子を見つめながら、すすり泣きながら口を開いた。

「千恵子さん、ごめんなさい。私のことを怒らないでください。お金でも家でも、何でも差し上げます。でも私は...私はあなたたちの結婚に介入していません!」

小山千恵子は高みから目の前の光景を見下ろし、心はすでに干からびていて、唇に浮かぶ寒々しい笑みを抑えられなかった。

彼女は桜井美月の拙い演技に付き合う価値すら感じなかった。

さらに滑稽なことに、彼女には弁解する気持ちすら全くなかった。

目の前のすべては、ただの茶番劇だった。

彼女が桜井美月に電話をして、実家での面会に同意した時から、すでに仕組まれた罠に落ちていたのだ。

浅野武樹は桜井美月を抱き上げ、冷たさの欠片もない眼差しで、小山千恵子を鋭く見つめた。

浅野武樹は小山千恵子の平らな腹部を見つめ、先ほどの病院の入り口での出来事を思い出した。

彼女が他人の子供を妊娠している可能性を考えると、憎しみが背筋を伝って全身に広がった。

「小山千恵子、言っただろう。美月とは二度と会うなと。何しに来た?」

小山千恵子は彫像のように、真っ直ぐに立ったまま。

彼女は浅野武樹をじっと見つめたが、一言も発するつもりはなかった。

かつて彼女は説明を試み、心の内を浅野武樹に見せようとした。

しかし彼の心の中にはすでに天秤があった。

決して彼女側に傾くことのない天秤が。

空気は凍りついたまま、浅野武樹の心の中の怒りは燃え続けていた。

彼は事の次第には理由があることを知っており、誰かの一方的な言い分だけを信じるつもりもなかった。

しかし彼は小山千恵子に折れてほしかった、彼女に説明してほしかった。

彼は小山千恵子に懇願してほしかった、彼女を信じてくれと!