第56章 まだ動くべき時ではない

小山千恵子と渡辺昭は監督のオフィスを出た。

彼女の心は久しぶりに少し軽くなった。

桜井美月が番組スタッフの中にいるのを見た瞬間、浅野武樹が番組に投資したことは間違いないと分かった。

しかし幸いなことに、白石監督は完全に買収されてはいなかった。まだチャンスはある。

それに、デザイン勝負なら誰にも負けるはずがない。

二人は小山千恵子の狭い住まいまで歩いて帰った。

渡辺昭はため息をつき、嫌そうな顔をした。

「こんなボロ屋、やっぱり引っ越さないとな」

ずっと我慢していた千恵子は、躊躇した末にようやく口を開いた。

「人から頼まれたって言ってたけど...千葉隆弘のことでしょう」

渡辺昭は笑い声を上げ、大げさに「あーやばい」と言った。

「あいつが知ったら、俺のことぶん殴りに来るぞ」

明らかにわざと漏らしたのだと千恵子は思った。

渡辺昭は表情を引き締め、珍しく真面目な顔になった。

「千恵子、プレッシャーに感じることはないよ。隆弘はそういう男だから、何も求めたりしない」

千恵子はため息をついた。

もちろん彼女は千葉隆弘のことをよく分かっていた。

だからこそ、この恩を返すのが難しいのだ。

渡辺昭はドア枠に斜めにもたれかかり、手を広げて困ったような表情を見せた。

「小山千恵子よ、恩というのは取引とは違って、計算できないものなんだ」

渡辺昭を見送った後、千恵子は白石監督との会話を藤原晴子に伝えた。

ごちゃごちゃした恨みや噂話より、藤原晴子は監督の最後の言葉が気になった。

「つまり、監督の言葉の意味は、第一ラウンドで誰かがあなたを陥れようとしているってこと?」

千恵子は頷いたが、表情に不安の色は見えなかった。

「予想していたわ。だから提出したデザイン案は予備のものよ」

藤原晴子は背筋を伸ばし、興味を示した。

「なるほど。つまり、デザイン案が漏洩されることを予測していたのね」

千恵子は默契するように頷いた。

「そう、私の盗作疑惑を追及するなら、番組スタッフを買収してそこを突くのが一番簡単で直接的な方法だもの」

藤原晴子は頷いた。「じゃあ、明日から衣装制作が始まるけど、どうするつもり?」

千恵子は輝く目を向け、腕を組んで考え込んだ。