第53章 ひざまずいて仕事をするのか

小山千恵子は撮影現場に到着したとき、すでに息を切らしていた。

白血病と診断されてから、彼女は非常に疲れやすくなり、体力も大幅に低下していた。

小山千恵子の細い首筋には細かい汗粒が浮かび、数本の髪の毛が絡みついていた。

「どうしたの?」

渡辺昭はレーシングスーツの上着を半分脱ぎ、どうしようもなく困った様子だった。

「上着が、断熱服と縫い付けられてしまったんです。」

小山千恵子は驚いて小さく「あっ」と声を上げた。

「申し訳ありません、すぐに直します。」

浅野武樹が到着したとき、小山千恵子は渡辺昭の横で片膝をついていた。

彼女の右腕の袖には数本の針と糸が留められており、手慣れた様子で素早く問題に対処していた。

その柔らかな手が、時折渡辺昭の腰や脚に触れていた。

浅野武樹の漆黒の瞳から火が噴き出しそうだった。

その手は簡単に彼の心の奥底にある欲望を掻き立て、また優しく彼の眉間のしわを和らげることもできた。

そんな手が、他の男に触れることなど許せなかった!

「小山千恵子。」

浅野武樹は近づき、小山千恵子を呼び止めた。その声は恐ろしいほど低かった。

渡辺昭はとっくに来訪者に気付いていた。

彼は何も言わず、浅野武樹が何をするのか見守っていた。

小山千恵子は驚いて震え、針が誤って渡辺昭を刺してしまった。

「すみません!」

「っ...大丈夫です。」

渡辺昭はただ眉をしかめただけだった。

小山千恵子は少し慌てながら結び目を作り、来訪者の方を向いた。

「浅野社長、何かご用でしょうか?」

浅野武樹は振り向き、渡辺昭が長居する気がないようで、すでに撮影に戻っているのを見た。

「ついて来い。」

小山千恵子の全身には警戒心が表れていた。

浅野武樹は一言も言わず、彼女の手を掴んで大股で歩き出した。

「離してください、ちょっと待って...」小山千恵子は仕方なく低い声で叫んだ。

黒いスーツを着た男は、長い脚で素早く歩いていた。

小山千恵子は引きずられるようにして、休憩室に連れて行かれた。

ドアがバタンと閉まった。

小山千恵子は反射的に襟元を引き締めた。

浅野武樹は冷ややかに笑った。

「触れないよ。呼んだのは、美月の服を直してもらうためだ。」

小山千恵子は嫌な予感がした。