小山千恵子は撮影現場に到着したとき、すでに息を切らしていた。
白血病と診断されてから、彼女は非常に疲れやすくなり、体力も大幅に低下していた。
小山千恵子の細い首筋には細かい汗粒が浮かび、数本の髪の毛が絡みついていた。
「どうしたの?」
渡辺昭はレーシングスーツの上着を半分脱ぎ、どうしようもなく困った様子だった。
「上着が、断熱服と縫い付けられてしまったんです。」
小山千恵子は驚いて小さく「あっ」と声を上げた。
「申し訳ありません、すぐに直します。」
浅野武樹が到着したとき、小山千恵子は渡辺昭の横で片膝をついていた。
彼女の右腕の袖には数本の針と糸が留められており、手慣れた様子で素早く問題に対処していた。
その柔らかな手が、時折渡辺昭の腰や脚に触れていた。
浅野武樹の漆黒の瞳から火が噴き出しそうだった。
その手は簡単に彼の心の奥底にある欲望を掻き立て、また優しく彼の眉間のしわを和らげることもできた。
そんな手が、他の男に触れることなど許せなかった!
「小山千恵子。」
浅野武樹は近づき、小山千恵子を呼び止めた。その声は恐ろしいほど低かった。
渡辺昭はとっくに来訪者に気付いていた。
彼は何も言わず、浅野武樹が何をするのか見守っていた。
小山千恵子は驚いて震え、針が誤って渡辺昭を刺してしまった。
「すみません!」
「っ...大丈夫です。」
渡辺昭はただ眉をしかめただけだった。
小山千恵子は少し慌てながら結び目を作り、来訪者の方を向いた。
「浅野社長、何かご用でしょうか?」
浅野武樹は振り向き、渡辺昭が長居する気がないようで、すでに撮影に戻っているのを見た。
「ついて来い。」
小山千恵子の全身には警戒心が表れていた。
浅野武樹は一言も言わず、彼女の手を掴んで大股で歩き出した。
「離してください、ちょっと待って...」小山千恵子は仕方なく低い声で叫んだ。
黒いスーツを着た男は、長い脚で素早く歩いていた。
小山千恵子は引きずられるようにして、休憩室に連れて行かれた。
ドアがバタンと閉まった。
小山千恵子は反射的に襟元を引き締めた。
浅野武樹は冷ややかに笑った。
「触れないよ。呼んだのは、美月の服を直してもらうためだ。」
小山千恵子は嫌な予感がした。