藤原晴子がまだ小山千恵子にこのことを伝える前に、彼女から電話がかかってきた。
小山千恵子の声は冷静そのものだった。
「晴子さん、試写に何か問題があったの?」
藤原晴子は驚いた。「どうしてわかったの?今話そうと思ってたところなのに」
電話の向こうで、小山千恵子が笑った。
「浅野武樹さんが朝早くに連絡してきて、番組のことで話がしたいって。だいたい察しがついたわ」
藤原晴子は眉間をさすり、頭が痛くてたまらなかった。
芸能界は玉石混交だけど、結局は資本が最強なのだ。
出資プロデューサーの桜井美月の後ろ盾は、浅野グループと浅野武樹だった。
藤原晴子は憤慨して言った。「浅野武樹のクソ野郎、きっと制作陣を脅したのよ。試写で私たちを徹底的に貶めて、白を黒と言い張るなんて、目を疑うわ」
小山千恵子は電話越しの藤原晴子の疲れた声を聞いて、胸が痛んだ。
「大丈夫よ、晴子さん。試写の件は慌てないで。私が浅野武樹と話してみるから、その後で相談しましょう」
浅野グループ、社長室。
小山千恵子は見慣れた黒い革のソファに座り、コーヒーを手に持ちながら、浅野武樹が手元の契約書の処理を終えるのを待っていた。
馴染みのコーヒーの香り、馴染みの場所。
小山千恵子は一瞬恍惚とした。
まるで昔に戻ったかのよう。彼女が浅野武樹の退社を待っていた日々。
彼の仕事が終わるのを待って、一緒に帰る。
その日あった面白い出来事を話して、彼が自分の話を真剣に聞いていないと文句を言う。
そして浅野武樹は口元に笑みを浮かべ、優しい眼差しで彼女を見つめていた。
「聞いてないわけじゃない。気にかけてないわけじゃない」
彼はいつも彼女を抱きしめながら、そっと溜息をついて言うのだった。
「ただ、君を見ているのが好きなんだ」
我に返ると、浅野武樹はすでにデスクから立ち上がっていた。
長い指で金縁眼鏡を外し、長い脚で歩いて小山千恵子の向かいに座り、彼女を見つめた。
その目には、小山千恵子にとって見覚えのある、でも今は見知らぬ冷たさが宿っていた。
「言ってみろ。どんな条件なら番組を降りる気になる?」
小山千恵子の口元に冷ややかな笑みが浮かんだ。
「社長が私と話したいということは、すでに切り札をお持ちなんでしょう。聞かせていただけませんか」
浅野武樹の瞳が鋭く光った。