浅野武樹は冷たい表情で、広い事務椅子に寄りかかり、両手を組んで、審査するような目つきをしていた。
寺田通についての彼の理解では、この有能な秘書は決して軽々しく物を言う人ではなく、時には彼以上に慎重に行動する人物だった。
しかし、自分に前妻がいたという事実は、彼の記憶の中に一度も存在したことがなく、極めて荒唐無稽なことだった!
浅野実家には、彼と桜井美月が長年暮らしてきた痕跡がある。
二人の写真やウェディング写真が壁に飾られ、庭には桜井美月が愛するユリの花が何年も植えられていた。
彼の人生には、小山千恵子という女性が存在していたことを証明する証拠は一切なかった。
寺田通は背中に冷や汗が浮かび、浅野武樹の表情を見ると、明らかに納得していないようだった。
確かに自分も少し軽率だった。結局のところ、小山千恵子と浅野武樹の過去を証明するものは何も持っていなかったのだから。
浅野武樹が怒り出す前に、寺田通は率直に口を開いた。
「社長、あなたの私事について、私が口を挟むべきではありません。ですが、この件に関して、私にはあなたを騙す勇気はありません。ご指示いただいた調査は、すぐに手配いたします。」
浅野武樹は薄い唇を引き締め、何も言わなかった。寺田通は空気を読んで社長室を出て行った。
寺田通が重厚な革張りのドアをゆっくりと閉めると、執務机の前の浅野武樹は、まだ黙考したまま一言も発していなかった。
ドアがバタンと閉まると、浅野武樹は目を細め、無意識のうちにつぶやいた。
「小山千恵子……」
この見知らぬ名前が、なぜか自然に口から出てきた。
寺田通が一度言っただけなのに、すぐに覚えてしまった。
それに、この部下は長年彼の側にいて、こんなことで嘘をつく必要はなかった。
浅野武樹は少しイライラしながら机の上の書類をかき分け、検索エンジンを開いて小山千恵子の三文字を打ち込んだ。
タイピングの仕方が慣れすぎていて自分でも驚くほどで、さらに驚くべきことに、いつも使っているこのパソコンの入力システムが、見たこともない名前を自動的に表示したのだ。
浅野武樹の心の中の葛藤は彼を引き裂きそうで、頭も再び隠隠と痛み始めた。
気づかないうちは、生活は平穏だった。
気づいてからは、生活のあちこちに小山千恵子との出会いの可能性が潜んでいるように思えた。