第212章 かつて本当に愛していたかもしれない

おっと。

寺田通は横目で顔面蒼白の桜井美月を一瞥し、社長専用エレベーターに視線を戻すと、心の中の schadenfreude を抑えきれなかった。

この状況は、まったく、誤解されても仕方がないな。

浅野社長も随分と焦っているようだな……

小山千恵子は我に返り、しなやかな体を浅野武樹の鉄壁のような腕から抜け出し、服のしわを整えると、何事もなかったかのようにエレベーターを出た。

彼女は桜井美月の姿を見かけたが、特に視線を向けることもなく、すれ違いながら真っ直ぐに出口へと向かった。

彼女が浅野グループにいることは、桜井美月もいずれ知ることになるだろう。

もし彼女を刺激して、混乱させることができれば、それも悪くない。

桜井美月の目に殺気が走ったが、すぐに可憐な眼差しを浅野武樹に向けた。

「武樹さん……」

彼女は心が凍りつくのを感じた。浅野武樹の目に浮かぶ面白そうな表情と愉悦を見て取ったからだ。

専用エレベーターの中で一体何があったの!

浅野武樹は袖口を整えながら、着実な足取りでエレベーターを出た。

桜井美月の顔色が赤くなったり青ざめたりするのを見て、ついに口を開いた。

「美月、何しに来たんだ?」

今日は会議で外出することを、桜井美月は知っているはずだ。

浅野武樹の目が鋭くなった。

もしかして、自分に会いに来たわけではないのか。

桜井美月は拳を握りしめた。すれ違った小山千恵子の胸元に、浅野グループの社員証を見つけたのだ。

浅野武樹の言っていた人選は、小山千恵子だったのね!

私はずっと浅野武樹と小山千恵子に弄ばれていたのだわ……

桜井美月の心に悪意が湧き上がったが、表情を必死に保ち、震える体を抑えながら、ゆっくりと浅野武樹に近づき、彼の襟元のしわを整え始めた。

浅野武樹は思わず一瞬身を引いたが、出口で待っている女性に目を向けると、体が硬直したものの、桜井美月を押しのけることはしなかった。

「お父様に少し物を届けに来ただけよ。あなたはお仕事に行ってらっしゃい。」

浅野武樹は軽く「ああ」と返事をした。「会長補佐に下まで迎えに来させる。寺田、行こう。」

桜井美月は浅野武樹の去っていく背中を見つめ、心が痛むほど憎しみを感じた。