第211章 エレベーターの壁ドン

浅野武樹は普段通りに引き出しを開け、中から別の社員証を取り出して渡した。

小山千恵子も何も言わず、素直に受け取り、心の中で少し笑みがこぼれた。

彼女は浅野武樹の赤くなった耳を見た。

彼にも恥ずかしがる時があるのだと。

小山千恵子は社員証の情報を確認し、表情を引き締めた。

デザイン部か管理部のはずなのに。

なぜ社員証の役職が社長特別補佐なのだろう?

浅野武樹は小山千恵子の顔に浮かぶ戸惑いを見抜き、両手を組んで感情の読み取れない口調で言った。

「ファッションデザインの事業は、私と寺田が直接管理しているからな。社長室に配属するのは、仕事がしやすいからだ。」

小山千恵子は浅野武樹の目に一瞬光るものを見て、理解した。

浅野武樹が単なる利便性のために彼女を側に置くはずがない。

彼は彼女を監視するつもりなのだ。

前回の郊外のスタジオでの不愉快な別れで、彼女はすでに気付いていた。

浅野武樹の記憶はまだ完全には戻っておらず、彼女が近づこうとする動きが急ぎすぎて、かえってこのライオンの警戒心を高めてしまった。

広々とした社長室の中で、誰も話さず、時計の音だけが特に鮮明に響いていた。

小山千恵子は拳を握りしめ、社員証を付け、真剣な表情で浅野武樹を見つめた。

今回の浅野武樹との再会で、彼女はもう知恵比べをするつもりはなかった。

浅野武樹が彼女に裏があると思うなら、誠実に対応すればいい。時間が全てを証明してくれるはずだ。

「社長、本当にお聞きになりたいのは、私がなぜ突然浅野家に入ることを承諾したのかということでしょう。」

浅野武樹は眉を少し上げ、表情に楽しそうな色が浮かんだ。椅子に寄りかかって小山千恵子の方を向き、彼女をじっと見つめた。

「ほう?では聞かせてもらおうか。」

浅野武樹は心を見透かされても怒る様子はなかった。

彼が気になっているのは、この女性の波風立てない、計算高そうな面の下に、どんな秘密が隠されているのかということだった。

あるいは、小山千恵子の完璧な仮面がいつ崩れ落ちるのかを期待しているのかもしれない。

小山千恵子は浅野武樹の底知れない黒い瞳を見つめ、淡々と口を開いた。