第288章 私たちの間に秘密はない

小山千恵子は動悸を感じた。

浅野武樹という老狐の罠に落ちそうになった。

小山千恵子は頭を下げ、視線を逸らし、冷たい声で言った。

「浅野武樹、私たちはもう離婚したわ。今の全ては取引に過ぎないの。全てが終われば、それぞれの生活に戻るだけ。そのことは、お互いよく分かっているはずよ」

帝都に戻ってきたのは、桜井美月が不当に居座り、是非を曲げているのが許せなかっただけ。

そして浅野武樹は、彼女にとって最も使い勝手の良い武器に過ぎなかった。

他の感情を語ることはできないし、望みもしない。

浅野武樹は小山千恵子の頭頂を見つめ、彼女の度重なる回避に苛立ちを感じていた。

彼女は明らかに自分のことを気にかけているのに、この話題になると、まるでコンクリートで心を封じたかのように冷たくなる。

あれほど複雑な過去を経験した後では、小山千恵子が簡単に心を開くはずがないことは分かっていた。

浅野武樹は、小山千恵子に関する記憶を失ったことが、罰なのか祝福なのかさえ分からなかった。

気付いた時には、知らず知らずのうちに、目の前の女性に再び心を奪われていた。

小山千恵子は熱い視線に居心地の悪さを感じ、横に一歩踏み出し、上着を脱いで返そうとしたが、男性が少し強引に肩を掴んだ。

「離して...」小山千恵子はハイヒールが傾き、バランスを崩しそうになり、心も少し慌てた。

浅野武樹の真剣な眼差しと目が合い、心臓が半拍抜けた。

小山千恵子は強引にその視線から逃れようとしたが、声は次第に弱くなっていった。「もう行くわ...」

浅野武樹は両手にさらに力を込め、小山千恵子は制御不能のように、再び彼の目の中の深い淵に引き込まれた。

男性は低い声で言った。「小山千恵子、君は次の言葉を聞きたくないだろうが、隠すつもりはない」

小山千恵子は心臓が喉から飛び出しそうなほど激しく鼓動し、唇が震え、目は熱く潤んでいた。

何年も前のことを思い出した。似たような夜があった。

少し寒く、晩秋がまだ冬に入らない季節。

それは浅野武樹が初めて彼女を新しく購入した中腹別荘に連れて行った時だった。

書斎の広々としたテラスで、浅野武樹は突然プロポーズをし、彼女も自然な流れで承諾した。

全てが水が流れるように、ちょうど良いタイミングで進んでいった。

誰もが天地が結び合わせた縁だと言っていた。