小山千恵子は浅野武樹の意向に従うつもりはなかった。
彼女にはまだファッションショーの仕事が山積みで、無駄足を踏んでしまい、かなりの時間を浪費してしまった。
今、この元凶の顔を見ると、腹立たしさが込み上げてきた。
しかし、浅野武樹の言葉は彼女の心に重く響いた。
信頼は、かつての彼女と浅野武樹の関係において、最も脆弱な部分だった。
そして、双方の際限のない隠し事が、本来なら単純な問題を、徐々に取り返しのつかない方向へと導いていった。
小山千恵子は長い間沈黙した後、ようやく目を伏せて頷いた。
浅野武樹の病室はまるでホテルのスイートルームのようで、ベッドの横に見慣れない医療機器があること以外は、清潔で居心地の良い空間だった。
小山千恵子が来る前、男はリビングのソファで読書をしていたようだった。
読書灯がまだ点いており、国際関係についての本がソファに伏せて置かれ、半分以上読み進められていた様子だった。
浅野武樹は水を二杯持ってリビングに戻り、小山千恵子は単刀直入に尋ねた。「また浅野遥の仕業?」
男は小山千恵子の横で一人分の距離を空けて座った。遠すぎず、かといって親密すぎない距離を保って。
「ああ、警備が調べたところ、救急車は全て第一病院のもので、もともと浅野家が出資している施設だ。これだけの台数を動かせるのは、間違いなく浅野遥だろう。それに、彼も私に隠すつもりはなかったようだ」
小山千恵子は頷き、まず一口水を飲んだ。
急いで来たせいで、確かに喉が渇いていた。
常温の水が喉を潤し、落ち着かない心を少し和らげた。
一方、浅野武樹の手元のグラスには、たくさんの氷が入っていた。
小山千恵子はグラスをしっかりと握りしめ、いつの間にか怒りが随分と収まっていた。
浅野武樹は続けて話し始めた。「今回の件で私が対処しなかった理由は、二つある」
「一つ目は、私はもともと浅野グループを離れるつもりだった。自発的か強制的かは、あまり気にしていない。強制的な方が良い、そうすれば彼らの警戒が緩むだろう」
「二つ目は、大野武志と黒川芽衣は、おそらくもう接触を始めている。私がここで弱みを見せれば、おとりとして使えるかもしれない。これは君も考えていたことだろう」
浅野武樹は誠実な眼差しで小山千恵子を見つめ、何も隠さないような、そして少し懇願するような様子だった。