第3章 香水

望月あかりは幸運にも最終バスに間に合い、寮に戻ったのは夜の10時過ぎだった。

香水を受け取ったものの、彼女は山田進とこれ以上関わりたくなく、学校に戻ることを主張し、今夜は泊まらないつもりだった。

山田進は送ると言ったが、彼女は山田進が出張で疲れているからと、ゆっくり休むように言い、明日も仕事があると伝えた。

4人部屋の寮で、ルームメイトたちはまだ起きていて、真ん中のテーブルに座ってお互いにフェイスマスクを塗り合っていた。

望月あかりが戻ってくるのを見て、若葉らん(わかば らん)は意味深な笑みを浮かべながら「どうして帰ってきたの?今日は帰ってこないと思ってたのに」と言った。

「門限は11時よ。帰らないとどこに泊まるの?葉月しずく、これあなたのブレスレット。問題ないか確認して」望月あかりは手にした袋を葉月しずくに渡すと、葉月しずくは開けて確認し、自分の机の上に投げ置いた。

「それはおかしいでしょう。今日はあなたの誕生日で、彼氏も出張から帰国したのに。まさに愛を確かめ合う素敵な瞬間なのに、なぜ帰ってきちゃったの?」若葉らんと田中かなた(たなか かなた)は目配せし合い、意地悪な笑みを浮かべながら、久しぶりの再会は新婚のようだと囁き合った。

寮の女の子たちの無邪気な冗談に、望月あかりは気にする様子もなかった。

葉月しずくは口を尖らせ、この話題に加わる気はないという様子だった。

「ねぇ望月あかり、彼氏がフランスから何か良いものを持って帰ってきた?隠さないで、私たちにも見せてよ」

田中かなたも興味津々だった。寮の4人の中で、一番裕福なのは葉月しずくで、地方出身だが、彼女の地元も大都市で、名の通った家庭だった。

次は彼女自身で、両親は国営企業を退職し、退職金を含めると家計は悪くなかった。若葉らんは地元出身で、普通のサラリーマン家庭。望月あかりは孤児で、寮の中で一番貧しかった。

いや、望月あかりは恐らく学校で一番貧しく、学費は奨学金に頼り、生活費は自分でアルバイトをして稼いでいた。

家族もおらず、食事も全て自分で賄っていた。

しかし、望月あかりは寮で唯一彼氏がいて、彼氏は商科大学の優秀な学生だということを彼女たちは知っていた。

望月あかりの話では地元の人だが、家庭環境も普通で、だから寮の仲間を食事に誘ったこともなく、普段も会ったことがなかった。

でも、彼氏は昇進したんじゃなかったの?

葉月しずくが調べたところによると、永陽株式会社の若手管理職は年収2000万円はあるはずで、今回のフランス出張では、望月あかりにそれなりの贈り物を持ち帰れるはずだった。

これまで望月あかりは彼について行き、アルバイトで借金を返しながら彼の面倒も見てきた。今こそ彼が恩を返す時、いや、望月あかりが報われる時のはずだった。

しかも今日は望月あかりの誕生日なのに、二人でロマンチックな時間を過ごさないなんて。

「あるわよ、これ」

望月あかりはテーブルに色付きの箱を置き、バルコニーに向かって今日干した服を片付けに行った。

若葉らんは我慢できずに箱を開け、中には精巧なガラス瓶があり、かすかな香りが漂ってきた。

「香水?彼があなたに香水を持って帰ってきたの?あなた香水使わないじゃない?」田中かなたは不思議そうに、ファッションのパリから帰ってきて、香水一本だけ?

「うん、フランスから持って帰ってきたって」

田中かなたと葉月しずくは目を合わせた。葉月しずくはフェイスマスクをつけたまま表情は見えなかったが、香水を手に取り、包装を開けて空気に向かって一吹きした。

香りは強くないが、望月あかりのようなタイプの女の子が使うような香りでもなかった。葉月しずくは冷静に香水を戻した。

包装箱を手に取って裏返すと、箱の底に微かな接着剤の跡があり、何かラベルが剥がされた痕跡だった。

葉月しずくは眉をひそめ、箱をテーブルに投げ返し、イライラしながらフェイスマスクを剥がして言った。「あんたみたいな貧乏人が、こういうの使っても似合わないって。部屋に飾っとくだけにしときなよ。外で使ったら、笑われるよ?バイト漬けの貧乏女子が香水とか、ギャグでしょ」

若葉らんは我慢できずに言った。「なんでそんな言い方するの?彼氏が買ってきたものを使って、何が恥ずかしいの?」

田中かなたも同意して頷いた。葉月しずくの言い方がひどすぎると感じた。

「本当のこと言ってるだけでしょ?似合わないものに無理して背伸びしたって、かえってみっともないだけだよ。男に媚び売ってるみたいで、見てるこっちが恥ずかしくなるわ」葉月しずくは軽蔑した表情で冷笑した。

若葉らんは腹が立って言い返そうとしたが、田中かなたに止められた。

葉月しずくは実家が裕福なうえに、性格もストレート。言いたいことはズバズバ言うタイプで、相手の顔なんて一切気にしない。彼女たちは太刀打ちできない。もし葉月と言い争えば、完膚なきまでに軽蔑されることになる。

望月あかりは彼女の皮肉など気にせず、服を片付け終わると彼女たちと一緒にテーブルに座り、香水瓶を丁寧に包装し、シールも元通りに貼り直して言った。「そっか、私みたいに何百円のTシャツ着てる人間には、こういう香水って似合わないかもね」

彼女は香水が好きではなかった。正確に言えば、香りのするものは何も好きではなかった。

若葉らんと田中かなたはまだ彼女のために言い訳しようとしたが、望月あかりは首を振った。葉月しずくに似合わないと言われるのは初めてではなかったが、今日は彼女の言う通りだと感じた。

田中かなたは急いで新しいフェイスマスクを取り出し、「これは私と若葉らんがネットで買ったフェイスマスクよ。望月あかり、試してみない?たくさんあるから、私たちも使い切れないわ」と言った。

「ありがとう」望月あかりは頷いてお礼を言った。

フェイスマスクは心地よく、頬がひんやりと冷たかった。

今日市場で、額が日差しで少し火傷していて、少しヒリヒリしたが、望月あかりは我慢できた。

さっきバスの中で、望月あかりは山田進のスーツケースの中にあったネックレスをネットで調べた。あるブランドの定番商品で、ペンダントは一番安価なものだった。

だからネックレス全体は高価ではなかったが、彼女のためのものではなかった。最も可能性が高いのは、あの女の子のために買ったもので、その女の子が持って行き忘れたということだった。

望月あかりはベッドに横たわり、香水を枕元に置いた。すりガラスのような箱には優雅な模様が描かれ、小さいながらも至る所に洗練された雰囲気が漂っていた。

葉月しずくの言う通りだった。彼女には相応しくない。

山田進はブランドのスーツを着て女の子とショッピングモールを歩き、200万円の買い物も眉一つ動かさずに支払える。

でも家に帰って彼女に会う時は、数千円の普通の作業着に着替え、至る所に彼の窮屈さが滲み出ていた。

彼女は作業着を着た彼の姿しか見る資格がなく、市場での喧騒と20円の値引き交渉だけが似合い、2万円にも満たないネックレスすら相応しくなかった。

では、この香水はいくらするのだろう?

望月あかりには分からなかった。頭の中から午後の光景が消えなかった。

寮の電気が消えて、それぞれベッドに戻ったあと、他の3人はお決まりの夜トークを始めた。

どの若手俳優がBL設定でカップリングされてるだの、どのアイドルがこっそり恋愛してバレて炎上しただの、芸能界のゴシップ話で大盛り上がり。

今日さ、芸能界でめっちゃデカいスキャンダル出たよ!「東山」って名前の若手俳優、売れる前はヒモでさ、相手の女に食費も家賃も小遣いも全部出してもらってたんだって!」

若葉は興奮気味に続けた。

「で、売れた途端にその女捨ててさ、借りたお金も返してないって!しかも今日の午後になってようやく謝罪文出して、『気持ちはもう冷めてたけど、女の子のこと考えて今まで別れ言い出せなかった』とか言ってんの。は?って感じじゃない?」

「なんて最低な男なの?!私の初恋の顔だと思ってたのに」田中かなたは失望して言った。「浮気するならするで、自分が追い詰められたみたいな言い方して、本当に気持ち悪い」

若葉らんはまだ足りないと言った。「業界の人によると、彼は女性が強気で金銭管理が厳しかったとか、自分は苦しくて誰にも理解されないとか言い触らしてるらしいわ。笑わせるわ!人のものを食べて飲んでた時は、強気だって文句言わなかったじゃない?!」

「そうよ、成り上がり者が一番最低!」

「そう、早めに損切りして、お金を取り返しましょう!クズ男に出て行ってもらいましょう!」

昭和のクズ男テンプレの話は女性の共感を最も呼び起こし、寮は非難の声で溢れていた。

望月あかりは静かに聞きながら、携帯の画面を見つめていた。LINEには一つもメッセージがなく、山田進は彼女が寮に無事に帰ったかどうかさえ尋ねてこなかった。

耳元で彼女たちの話すゴシップは徐々に自分の状況と重なり、山田進もこんな人なのだろうか?自分も捨てられる運命の恩人の妻なのだろうか?早めに損切りすべきか?

はっきりと確認するべきか、それとも直接別れを切り出すべきか?それとも彼から別れを切り出すのを待つべきか?

時計が0時を回って、あかりの誕生日は静かに終わった。……きっと、山田進との関係も。