鈴木之恵は部屋に入り、社長の椅子を引き出して座り、静かに彼女の話を聞いた。
山田結城はここ数年で疲れた様子になり、4年前の意気込みはもうなく、まるで歳月に磨かれた中年のビジネスパーソンのようだった。彼女は額の乱れた髪をかき上げながら続けた。
「藤田グループは従業員を厚遇する企業として有名ですが、あなたに関することについては、藤田社長の対応は…」
ここまで話して、彼女は言葉を詰まらせ、しばらく回想に浸った。
「冷酷でした。」
山田結城は「冷酷」という言葉で当時の藤田グループの大規模リストラを表現した。
「実は設計部だけでなく、他の部署であなたの悪口を言った人たちも即刻解雇されました。契約解除の補償は法律通りで、一銭も余分には支払われませんでした。」
鈴木之恵は当時藤田グループで働いていた時、従業員規則に、3年以上勤務した社員、または会社に重大な貢献をした社員が退職する際には、慰労金として2ヶ月分の給与が追加支給されると書かれていたことを覚えていた。これは藤田グループの隠れた福利厚生の一つだった。
そして設計部には当時、多くのベテラン社員がおり、その多くが藤田グループでの勤続年数が3年以上だった。
よく考えてみると、その年はちょうどパンデミックが発生した時期で、全国の大小の企業が人員削減を行い、どの業界も不景気で、就職が最も困難な年だった。若い人はまだしも、家族を持つベテラン社員が突然解雇されれば、生活面で直面する圧力は想像に難くない。住宅ローン、車のローン、親の扶養、子育て、どの出費も削れないものばかりだった。
社畜は毎月のわずかな給料で生活していたため、突然の失業は彼らにとって致命的な打撃だった。
藤田深志のこのやり方は、法律の観点からは問題なかった。彼は経営者として、従業員を解雇する際に法律で定められた額の補償金を支払っていた。
しかし従業員の立場からすれば、人情味は全く感じられなかった。しかも彼らは仕事上のミスもなく、何の予兆もない状態で解雇されたのだから、誰もが戸惑うはずだった。
「新しい仕事を探す時間も与えてくれなかったのですか?」
山田結城は苦々しく首を振った。
「藤田社長は私たちにその日のうちに出て行けと言い、引き継ぎすら必要ありませんでした。」
山田結城は続けて言った。