バカね、10年間ずっと愛してた

南雲泉の胸の奥を、針でちくちくと刺すような細かな痛みが襲った。

両手を強く握りしめ、感情を抑えた声で言った。「もういいんです。彼には……好きな人ができましたから。それに、もうすぐ再婚するそうですわ」

「再婚?彼、結婚してたのか?」

その答えは、暁にとって少々意外なものだった。

2年間の結婚生活。共に過ごした2年間……それが、彼女の心の中にいるという、ただの離婚歴のある男一人に敵わなかったと?

泉は小さく頷いた。「ええ……昔、家の事情で、愛していない人を奥さんにしましたの。でも、本当に好きだった人が戻ってきて……もうすぐ、その人と結婚するんですって」

暁はそれを聞き、明らかに不快感を露わにした。

「そいつは、最低だな。二人の女性を同時に不幸にしたわけだ。そんな男、君が好きになる価値なんてない。機会があるなら、別の人を好きになった方が……君も幸せになれる」

泉は頷いた。「……私も、そう思うですわ」

でも、どうすればいいの?

今日まで、もう10年も彼を好きでいたのに。

10年……それは、泉の青春のほとんどすべて。あまりに遠く、長い時間。

もう、替えなんてきかない。もし心の中にいる人を他の誰かと入れ替えられるなら、とっくにそうしていたわ。

愛というものは、一度根を張り、芽を出してしまったら、もう引き抜くことなんてできないのよ。

「暁……私、あなたを10年も愛してきたのよ。知ってた?私が愛しているのは他の誰でもない、あなた。あなただけなのよ……!」泉は両手をさらに強く握りしめ、心の中で何度も、何度も繰り返した。

結城暁は、眉間に深い皺を刻んでいた。

彼は泉を見つめ、何か考え込んでいるようだった。

「泉」不意に、彼が呼びかけた。

「はい?」

「……いや、なんでもない」

暁はまた首を振った。

どうかしてたな。

一瞬、泉の言っていた男が、自分のことのように思えた。

だが、すぐに彼はその考えを打ち消した。

結婚した時、泉は「8年間、その人を好きだった」と言っていたはずだ。

だが、その頃、自分たちは知り合ってまだ4年。絶対に、俺のことではない。

……別の男がいるのだ。

暁が去った後、泉は慌ててゴミ箱に駆け寄り、先ほどの妊娠検査書を探し出した。

それをテーブルの上でそっと広げ、皺を伸ばし、大切そうに仕舞い込んだ。

身体の不調は酷くなる一方で、息をするのさえ苦しいような気がした。ベッドに横たわると、彼女はそのまま昏々と、長い時間眠りに落ちていた。

電話が鳴るまで。

「……もしもし?」まだ眠りから覚めきらない泉の声は、鼻にかかった甘い響きで、わけもなく庇護欲をかき立てるような響きがあった。

「まだ寝てたのか?」暁の声だ。いつものように、優しい響き。

「はい……今、起きたところです」

「もう昼だぞ。起きてちゃんと食事をとれよ。プレゼントは桐山に預けた。後で届けさせる」

「プレゼント……ですか?」一眠りして、泉は意図的に多くのことを忘れようとしていた。

「結婚2周年の記念日のプレゼントだ。朝、離婚の話はしたが、まだ正式に別れたわけじゃない。夫としての義務は果たすつもりだ。他の人が持っているものを、君にだけない、なんてことはさせないさ」

まったく……これが結城暁という男なのだ。

いつだって、こんな風に優しくて、気が利いて、完璧で、まるで一点の曇りもないみたいに。

なんて、素敵な人なんだろう!

本当に、本当に……

たった一つだけ、良くない点を除いては。泉を、愛していないという点だけ。

泉がぼんやりしている間に、暁の声が再び聞こえた。「ああ、それと……すまない。プレゼントなんだが、ちょっとした手違いがあってな。別のものに替えたんだ」

「……はい」泉は頷いたが、心の中がどんな味をしているのか、自分でもよく分からなかった。

もうすぐ離婚するというのに、この、いわゆる記念日のプレゼントというのは、なんだか皮肉に感じられた。

電話を切って、泉が着替えを済ませた頃、桐山翔(きりやま しょう)がやってきた。

彼は手にしていたギフトボックスを、恭しく泉に差し出した。「若奥様、こちら、結城社長がお届けするようにと」

「ありがとう」

ギフトボックスは洗練されたデザインで、一目で高級ブランドのものだと分かった。

最初から期待していたプレゼントではないと分かっていても、泉は自分の手でそれを開けた。

目に飛び込んできたルビーのネックレスとイヤリングのセットを見て、彼女は声もなく微笑んだ。

埋め合わせ、かしら……

気に入っていたプレゼントを渡せなかったから、代わりにこんな高価なジュエリーセットを?

先月、彼と一緒に参加したジュエリーオークションでのこと。会場に、祖父から贈られた玉の腕輪と対になりそうな、美しいの碧玉のイヤリングが出品されていた。瑞々しく、優美なその輝きに、泉は一目で心を奪われたのだ。

暁は彼女の目の輝きに気づき、「気に入ったなら、落札しようか」と申し出てくれた。

「ううん、いいの。高価すぎるわ」

所詮は契約結婚。暁にそんな大金を使わせるのは気が引けた。

「もうすぐ2周年だろう。俺からのプレゼントだと思えばいい。気が引けるなら、君から俺に何かお返しをしてくれれば」

だから、泉は期待を抱いていた。

けれど、離婚話が出た途端、用意されていたはずのプレゼントさえも、水の泡と消えた。

やっぱり、私たちには縁がなかったのね。もう、別れるべきなんだわ……

プレゼントのお返し?

確かに、心を込めて用意したプレゼントがあった。でも、彼は受け取ってくれなかった。

泉は急いで桐山を呼び止めた。「あの、このケーキ……私が手作りしたものなんです。良かったら、彼に持って行ってもらえませんか?」

桐山は一瞬、戸惑った顔を見せた。結城暁の言葉が脳裏に響く。「俺は甘いものは食べない。もし泉がケーキを渡そうとしたら、断ってくれ」

泉の顔を見て、桐山は心苦しさを感じた。

しばらく躊躇した後、彼は正直に告げた。「……社長は、甘いものはお好きではない、と。若奥様がお好きだとご存知ですから、どうぞ召し上がってください、とのことです」

泉は手のひらを強く握りしめ、立っているのがやっとだった。

桐山が去ると、泉はケーキを抱えたまま、ふらふらと部屋に戻った。

ドアにもたれかかり、ずるずると床に座り込む。ぽた、ぽたと、大粒の涙が床に落ちて染みを作った。

胸が、痛い。ひどく、痛い。

ずっと知っていた。暁がクリームたっぷりのケーキも、甘すぎるケーキも苦手なこと。

だから、このケーキは彼女が手作りしたのだ。低脂肪、低糖質で、ほんのりミルクの香りがするだけ。本当に、少しも甘くない。

クリームも使わず、スポンジ生地だけなのに。

それなのに、彼は一口、試そうとさえしてくれない。

泉はケーキの箱を開けた。上に丁寧に描かれた、親子3人の絵を見つめ、乾いた笑いを漏らした。

そして、突然、何かに憑かれたように手を伸ばすと、ケーキを掴んでむさぼり始めた。

うつむき、体裁も何もかも忘れ、必死に、狂ったようにケーキを口に詰め込んだ。

ケーキは大きかった。半分ほど食べたところで、彼女は嘔吐した。

吐き終えると、またケーキを抱えて食べ始めた。

涙を流しながら、ただひたすらに食べた。

しょっぱい涙がケーキに混じり、もうどんな味なのかも分からなかった。ただ、全部食べきらなければいけない、とだけ思った。

ケーキをすべて食べ終えた時、ようやく彼女は満足したような顔をした。

だが、その直後。トイレで激しい嘔吐と下痢に襲われ、腹部の激痛でのたうち回り、目の前が真っ暗になるほどの苦しみに苛まれた。

この世で、母以外に誰も知らないこと。泉が、卵アレルギーだということ。

だから、彼女は誕生日にも、クリームだけを食べて、スポンジケーキは決して口にしなかったのだ。

なのに、今回は、スポンジケーキを丸ごと全部、食べてしまった。

これで最後にするわ。暁のために、こんな風に無茶をするのは……後先考えずに、自分を傷つけるのは……

吐ききった後、彼女は声を上げて泣きじゃくった。

外に声が漏れないように、必死に自分の唇を両手で押さえつけながら。

「赤ちゃん……ごめんね。ママ、パパを引き止められなかった……

「パパは、ママのこと、愛してないの。他の女が好きなの……。ママは、パパに残ってほしかったけど……でも、そんなわがままは言えないから……

「赤ちゃん、強く生きてね。ママ一人でも、ちゃんとあなたを立派に育ててみせるから……」

その時、不意に携帯が鳴った。

結城暁からだった。

泉は急いで涙を拭い、気持ちを整えると、静かに電話に出た。「……もしもし」

「プレゼント、受け取ったか?気に入ったか?」

「はい、すごく綺麗です。ありがとうございます」

「君には赤が似合う。顔色が良く見えるぞ」一瞬の間を置いて、暁は続けた。「……今夜は、帰らない」

突然、電話の向こうから、藤宮清華(ふじみや せいか)の甘く柔らかな声が、微かに聞こえてきた。「暁、彼女にはもう話したの?早く来て、キャンドルディナーの準備が……」