南雲泉、離婚しないと宣言

南雲泉は唇を引き結び、何も言わなかった。

「清華、説明してくれ」

藤宮清華はすぐに、憐れみを誘う表情になった。「暁、南雲さんを責めないで。私が悪いの。私が、馬鹿だったのよ。立ち上がりたいと思って……でも、自分にはもう、立ち上がる力なんてないんだって、思い知らされただけ……」

「……本当に、そうなのか?」結城暁は泉に視線を向けた。

泉は、やはり黙ったままだった。

暁は再び清華に目を向けた。「君の足はまだ治っていないんだろう。ちゃんと座っていたのに、どうして急に立ち上がろうとしたんだ?」

「ごめんなさい、暁、だって……」清華は急に泣き出した。「だって、私、あまりにも興奮してしまって……。さっき、南雲さんが……お爺様に離婚の話はしないって……死んでも、あなたとは離婚しないって、言ったのよ!」

「人を陥れるようなことを言わないで! 私がいつ、そんなことを言いました!?」

泉は、暁の前で、これほどまでに感情を露わにし、自分を失ったことは、初めてだった。

「……君が、言ったのか?」暁は彼女を見た。その瞳は、冷ややかに澄んでいた。

「信じられないのなら、今すぐにでも、お爺様のところへ離婚の話をしに行ってもよろしくてよ」泉は両手を広げ、まるで投げやりな態度を見せた。

暁は眉間を揉み、ため息をつくと、宥めるような声で言った。

「清華、君が焦っているのは分かる。俺にすぐに離婚してほしいのだろう。だが、約束したじゃないか。お爺様は今、体調が優れないんだ。誕生日が終わってから、離婚の話をすると。

「もし、この数日間さえ待てないと言うのなら……申し訳ないが、君とお爺様の間で選ぶなら、俺はお爺様を選ばなければならない」

それを聞いて、清華はたちまち慌てふためいた。

彼女は手を伸ばし、暁の服の裾を掴むと、か弱げに訴えた。「ごめんなさい、暁……わざとじゃなかったの。

「あの時も……このことで、あなたと喧嘩するべきじゃなかったわ。

「ただ、焦っていただけなの。だって、もし、長引いたら……離婚するのが惜しくなってしまうんじゃないかって……。あなたが、私を捨ててしまうんじゃないかって、怖かったのよ」

そう言うと、清華はなんと、両腕を伸ばし、暁の身体に直接抱きついた。

泉は目を大きく見開いた。白昼堂々、不倫相手が、人の夫に抱きつくだなんて……恥ずかしくないのかしら。

彼女が何か言いかけようとした、その時。突然、凛とした冷たい声が、強く響き渡った。

「世も末ね。いつから、不倫相手が人様の夫に抱きついて、こんな理屈をこねられるようになったのかしら?」

「この声は……?」

南雲泉が振り返るより先に、結城暁が口を開いた。「母さん、どうしてここに?」

「私が来てはいけない理由でもあるのかしら。ショッピングモールの日常的な視察をしていたら、目に余る光景を見かけたものだから、止めに入ろうと思ったのだけれど……まさか、それが息子だったとはね」

雲居詩織(くもい しおり)は冷たく鼻を鳴らし、その言葉には容赦がなかった。

「母さん、これは清華のせいじゃない。彼女はわざとじゃなくて、それに……」

暁の言葉は、詩織によって容赦なく遮られた。

「彼女のせいでないなら、あなたのせいよ。妻帯者のくせに、他の女と抱き合っているなんて。見ていられないわ。今度から、外で私の息子だなんて名乗らないでちょうだい」

雲居詩織は、「不倫相手」というものを、心の底から憎悪しているようだった。

「自分のことを、ちゃんと管理なさい。もし、自分の妻以外の女性を抱いているところを、もう一度私に見られたら……二度と、この結城家の敷居を跨がせないわよ。家名を汚すことにもなるのだから」

詩織の言葉は、まさに速射砲のようだった。鋭く、的確で、一分の無駄もない。

一言一句が、的の中心を射抜いていた。

泉はそばに立ち尽くし、この義母の前で、自分がひどくちっぽけな存在に感じられた。

今、彼女は心の中で、旗を振って叫びたい気分だった。「お義母様、素敵!お義母様、最高!」

しかし、その同時に、非常に驚いてもいた。

結婚してから、泉と暁が結城家の本宅に戻る回数は多くなかった。ほとんどは、お爺様に会うためだった。

この義母である詩織とは、顔を合わせる機会など、指で数えるほどしかなかった。

泉の記憶の中の義母は、非常に冷淡な女性で、泉に対しても常に素っ気なく、あまり話しかけてくることもなかった。だから、泉はずっと、彼女に嫌われているのだと思っていた。

仕方ないわ、と、自分を慰めてもいた。義母のような、名門の令嬢として育った方にとって、理想の嫁は、やはり同じように名門の出で、優雅で知的な令嬢なのでしょう。自分のような、家柄のない娘は、きっとお気に召さないのだ。

そう思っていたから、詩織が泉を避けるなら、泉も決して彼女に近づこうとはしなかった。

それなのに……今、義母が、こんなにも痛快に、自分のために怒ってくれているなんて。

「時には、信じなければならないのかもしれない。天敵というものが、存在するのだと」

例えば、藤宮清華のような女性には、この義母のような人が必要なのだ。

藤宮清華は、手のひらを強く握りしめ、必死に言葉を絞り出した。「雲居おば様、おっしゃる通りですわ。私、少し、度を越してしまいました」

「まだ、救いようがないわけではないのね。自分の過ちを、ちゃんと分かっているのなら」

「ちょうど、帰国したばかりでして……。お爺様の傘寿のお祝いが早まったと伺いましたので、何か贈り物を用意したいと思いまして。暁さんはお爺様の好みをご存知ですから、それで、彼に付き合っていただいていたのです。どうか、暁さんをお責めにならないでください」

「せっかくの休日に、自分の妻を差し置いて、他の女性に付き添っているなんて。当然、責めるわよ。それから……」

詩織の鋭い視線が、清華を射抜いた。「父があなたを招待したとは、記憶にありませんけれど。そのプレゼントも、選ぶだけ無駄になるわね。渡す相手がいないのだから」

「母さん、もうやめてくれ。俺が彼女を招待したんだ」暁が、耐えきれずに口を挟んだ。

「もういい、黙っていなさい」詩織はすぐに息子を睨みつけた。

そして、続けた。「これは、お爺様の傘寿のお祝いよ。あなたの誕生日ではないわ。いつから、あなたがお爺様の代わりに、決定権を持つようになったの?あなたが招待したい?……それは、あなた自身の傘寿のお祝いの時にでも、どうぞ」

清華の顔は、紙のように真っ白になり、血の気が完全に引いていた。

その時、詩織は表情を一変させ、穏やかな笑顔を浮かべた。「父が好む品々は、どれも希少価値の高いものばかりでね。お値段も、相当なものよ。藤宮家も、いくらかの資産はお持ちでしょうけれど、私たち結城家の前では、あまりにも些細なものだわ」

「お心遣い、痛み入ります、おば様。ご心配なく。藤宮家も、以前ほどではございませんが、それくらいの蓄えはございますから」

「あら、そうなの?」詩織は容赦なかった。「藤宮家自体は、信じているわよ。没落したとはいえ、まだ少しは家財が残っているでしょうから。でも、今の藤宮家では、確か……妹さんの、藤宮咲(ふじみや さき)さんの方が、可愛がられているのではなくて?

「あなたのその足では、もうダンスも踊れない。藤宮家でのあなたの立場も、以前とは比べ物にならないほど、悪くなっているでしょう。お小遣いも、あまり貰えていないのではないかしら?無駄なことにお金を使うくらいなら、ご自分のために取っておいた方がよろしいのでは?

「それに、もしプレゼントを買ったとして、藤宮家がそれを価値のないものだと判断して、費用を出してくれなかったら?あなた、今後の生活、どうするつもり?

「まさか……暁に、その費用を肩代わりさせようとでも?」

詩織の立て続けの言葉は、泉の認識を完全に覆すものだった。

彼女は、心の底から「痛快だ」「すごい」と叫びたくなった。

藤宮清華は、ずっと必死に耐えていた。だが、もう、限界だった。

「おば様、私はあなたを尊敬しております。ですから、これまでずっと、敬意を払って話してまいりました。でも、今のお言葉は……あまりにも、私を傷つけますわ。

「藤宮家が、どれほど没落しようとも、私が、どれほどお小遣いがなかろうとも、南雲家よりはましです!南雲さんのご実家は、一銭の財産もなく、それどころか結城家からお金をせびっているような家ではありませんの?南雲さんはいったい何で、プレゼントを買うというのですか!?」