喪失

その日の朝6時、まだ夜が明けきらぬ頃だった。

車内でうたた寝をしていた運転手は、ドンッという音にはっと目を覚まし、外を見た。

いつもゆっくりと歩く社長が突然……

あんなにも慌てて走る姿など、見たことがなかったのだ!

医師が駆けつける前、真子は狂おしいほど泣き叫んでいた。

母を呼び戻せると思っていたのだろうか!

だが、それが叶わぬことだと悟ると、ぴたりと静かになった。

医者が到着してからも、ただ、まだ温もりの残る母の手を、固く握りしめているばかりだった。

「高橋さん、お母様はもう……」

医者が傍らでそっと声をかける。

真子は何も言わない。母のそばにいれば、母の気持ちが晴れて、奇跡が起こるかもしれないと、そう思っていたのに。

だが、まだ何一つできないうちに、母は逝ってしまったのだ!

「高橋さん!」

看護師が支えようと近寄る。

真子は頑なにそこから動かず、母の手を握りしめている。

病室の医者や看護師たちは、次第に脇へと身を引いた。

ふと、肩を抱かれる感覚。そして、彼の温かく低い声が響く。「立て!」

真子はなおも動かなかったが、彼――藤原月に無理やり抱き起こされた。

母の体は運び出されていった。真子は力の限り彼の胸を叩き、引き裂かんばかりにする。母を追いかけたい。もう一度、母に自分の姿を見てほしい。もう一言、言葉を交わしたい……

だが、場にそぐわぬ声は決して漏らさぬよう、必死に堪えながら、ただ彼を叩き、しがみつく。

藤原月は彼女の両手首を掴むと、有無を言わさずその胸に引き寄せた。「わかってる」

「ああっ!」

真子はなおも彼を突き放そうとしたが、ついに甲高い叫び声を上げたきり、それ以上は何もできなかった。

顔はとうに涙でぐしょぐしょで、何も見えず、何も聞こえない。ただ、大きな体が自分を支えてくれているのを感じるだけだった。

彼の胸に顔を埋め、ワイシャツの生地を固く握りしめる。泣き叫びたいのに、涙がシャツを濡らしても、ただ息が詰まる時に数度、しゃくりあげるだけだった。

こうして、唯一の肉親も、彼女のもとを去ってしまった!

これから先、本当に、一人きりで生きていかなくてはならないのだ。

以前は遠く海外にいても、この世にまだ肉親がいると思うだけで、何も怖くはなかった。

今になって、ようやく後悔が押し寄せる。どうしてあんなに愚かだったのだろう?

自分を愛してもいない男のために海外へ渡り、最も大切な人に、自分を失わせてしまった。

だが、後悔したところで、何になるというのか?

真子は彼のシャツを掴み、引き裂かんばかりにする。その瞬間、心の底から彼を憎んでいる自分に気づいた。

物心ついた頃から、ずっと彼を愛してきた!

彼の駒になることさえ、愚かにも厭わなかった!

間違っていた!

一番愛すべきだったのは、一番大切にすべきだったのは、両親だったのだ!

世界を失い、果てしない暗闇に突き落とされたような感覚に、全身が震えた。

母の葬儀の日になって、ようやく麻痺していた感覚が少し和らいだ。

藤原月はずっとそばにいてくれたし、藤原の方々も常に気遣ってくれた。母の葬儀も、藤原家が手配してくれたのだ。

葬儀が終わり、皆で藤原家に戻ると、祖母が心配そうに声をかけてきた。「おばあさんもいるんだよ。お義父様もお義母様もいる。皆がついているからね、真子ちゃん、絶対に早まった考えを起こしちゃいけないよ!」

「お祖母様、大丈夫です」

こんんなにも年老いた方が自分を心配してくれるのを見るに忍びず、真子は口を開いた。

「この子ったら、大丈夫かどうかなんて、おばあさんにはお見通しだよ?しばらくはここにいなさい。皆でそばにいてあげるから」

祖母はそう続けた。

「お祖母様、私、帰りたいんです!母のところに!」

もう、ここにはいられない。

「母さんのところに?」

一家は皆、ぎょっとした。彼女が早まるのではないかと心配になったのだ。

「母とは約束したんです、ちゃんと生きるって。馬鹿なことはしません。それに、すぐに仕事にも復帰します。ただ、母のところへ帰りたいんです。それと……」

少し躊躇い、眞子の唇を噛む様子が痛々しい。

「言いなさい、必要なことなら、おばあさんが何でも叶えてあげるから!」

「本当ですか?おばあ様、私の戸籍を、高橋家に戻したいんです!」

彼女は終始、藤原月の方を見ようとはしなかった。だが、事態は皮肉にも、彼が望む方向へと進んでいた。

「何ですって?」

今度こそ、一家は呆気にとられた。祖母は藤原お母さんと顔を見合わせ、それから藤原月へと視線を移した。

「でも、高橋家はもう……」

藤原月の母が言いかけたが、彼女を傷つけるのを慮ってか、言葉を飲み込んだ。

「私が、高橋家唯一の人間なんです!」

真子は自分の指をぎゅっと握りしめ、その姿はいかにもか弱く見えた。

「そう思うのなら、おばあさんが手続きしてあげましょう。ただ、証明は、この前お爺さんが持ち出したままでね。少し日数がかかるかもしれないわ」

「大丈夫です!待てます!」

真子は頷き、戸籍の件が片付くと、すっくと立ち上がった。「お祖母様、お義父様、お義母様、今日はこれ以上ご迷惑はおかけしません!」

「真子、ここがあなたの家なんだよ!」

祖母は何かがおかしいと感じ、悲しげに言った。

「存じております!皆様は、永遠に私の家族です!」

真子は微笑み、深々と頭を下げた。

この時になって、藤原の方々はようやく事の次第を悟り、一斉に藤原月を見た。

藤原月はずっと黙っていた。まさか彼女が、祖母の自分への情愛を利用して、このタイミングで戸籍を藤原家から抜くと切り出すとは思ってもみなかった。

こうなれば、二人の離婚にはもう何の障害もない!

「皆、気づいたぞ。離婚したいんだろう」

藤原月が突然口を開いた。

真子は驚いて彼を見た。まさか年長者の前で、彼がそれを口にするとは思わなかったからだ。

でも、離婚を言い出したのは、そちらの方ではないか!

「離婚ですって?ああっ!」

祖母は突然、激しく動揺し、額を押さえてそのまま気を失ってしまった。

「母さん!」

「お母様!」

その後、祖母は自室のベッドで目を覚ますなり、叫んだ。「藤原月、この人でなし!離婚なんて、私が死なない限り許さないからね!」

藤原月と真子は外で互いに見つめ合っていた。真子が背を向けて歩き出すと、彼も後を追った。

階下へ降りると、真子は言った。「もう、ついてこないでください!」

「俺がここにいて、何かいいことでもあるか?」

彼は彼女を自分の車に押し込み、助手席に座らせた。

実のところ、真子はこの席に座るたびに、場違いな気がしていた。自分のものではない場所を占めているような、そんな感覚。

だが、今はもう、それを口にする気力さえない。ただ、身を横たえるようにして窓の外を眺めていた。

ひどく疲れていた。休みたい。

しっかり休んだら、また一生懸命働かなくては!

天国のお父様とお母様が見守っているのだから。

だが、そうして一息ついた途端、彼の車の中で、彼女はすうっと眠りに落ちてしまった。

次に目を覚ました時、見慣れたベッドの上に横たわっていた。はっとして、無意識に身を起こそうとする。

「動かないで」

低く掠れた男の声に、現実に引き戻される。

間近にある男の顔を見て、真子はふと息が詰まるのを感じた。「どうして、私、ここに?」

「ひどく疲れていたからだ。義母さんの家は、長いこと誰も住んでいなかったし、掃除もされていないだろう」

「……」

真子は再びゆっくりと横になった。

藤原月は彼女の肩の両脇に手をつき、黒い瞳で彼女を見下ろす。その顔に浮かぶ倦怠の色を見て、思わず胸が締め付けられた。

このところ、彼女は本当に辛い日々を送っていたのだ!

彼は思わず、熱っぽい彼女の頬に手を伸ばした。真子はびくりとして、さっと身を引いた。「な、何を……?」

「動くな!ここに、まつ毛が一本」

「……」

真子は神経を張り詰めさせ、身動き一つできなかった。

確かに彼は、たとえこんなに短い一本のまつ毛であろうと、あるべきでない場所にあるのを許せないほどの潔癖さがあった。

だが、彼の親指が目元をそっと撫でるのを感じながら、彼女は思わず彼を見つめてしまった!

まつ毛は見えなかった。ただ、彼のどこか暗い光を帯びた瞳が、熱っぽく自分の肌を見つめているのがわかった。

真子の呼吸が熱を帯びていく。藤原月の指がやや下がり、その熱を感じ取ったようだった。

真子は息を詰め、彼の指が目元から滑り落ち、やがて唇の端に触れるのを感じた。

その親指が、そっと唇の端を押さえている。