眞子は綺麗だ

「月、こっちに来てくれる?今、すごく辛いの!」

「こんな時間で?」

「でも、本当に辛いのよ。死んじゃいそう!」

電話口で詩織が泣き出した。

真子はその声を聞いても、正直可哀想だとは思えなかった。むしろ、わざとらしいと感じてしまう。しかし、もちろんそんなことは言えない。

「すぐに医者に電話する。ベッドで大人しくしてろ、いいな?」

藤原月はそう言って電話を切ると、すぐに別の番号にかけた。詩織の主治医の番号だ。

詩織のことは何でも知っているのに、眞子の年齢さえ覚えていない!

皮肉ではないだろうか?

家にいた時はあんなに胃が痛そうにして、薬を探すのを手伝わせていたのに、詩織に一言伝えることさえ惜しむなんて。

うん、愛しているのといないのとでは、やはり違うのだ!

本当に、皮肉なことだ!

車内はようやく再び静かになった。真子は自分が藤原月が本命と過ごす時間を邪魔してしまったような気がして、少し気まずく尋ねた。「もし痛くないのなら、先に詩織さんのところへ行ってあげてください。私はこの辺で降ろしてもらえれば大丈夫です。ここならタクシーも拾いやすいですし」

「最近、都内で深夜のわいせつ事件が何件か起きてるの、知らないのか?」

藤原月が問い返した。

「……」

本当に知らなかった!

「送り届けたら、すぐに行く」

藤原月はイライラした様子でそう言った。

そして言葉通り、彼女を病院の入り口で降ろすと、すぐにUターンして去っていった。

真子は病院の入り口に立ち尽くし、自分の両手が空っぽなのを見て、思わずため息をついた。

結婚して3年。2枚の婚姻届以外、何もなかった。結婚指輪さえも!

藤原月の車は病院を離れると、クラブへ向かった。須藤陽太が駆けつけた時、彼はすでに数杯飲んでいた。須藤は彼の前に腰を下ろす。「どうしたんだ、こんな時間にやけ酒なんて。詩織に付き合わなくていいのか?」

「こんな時間に、付き合いに行くわけないだろう」

藤原月は淡々と言い、酒をゆっくりと味わった。

須藤はそれを聞いて、思わずくすりと笑った。「じゃあ、こんな時間に誰に付き合いたいんだ?」

藤原月の瞳が一瞬翳り、不意に黙り込む。

「真子ちゃんか?でも、すごく嫌ってるみたいだったじゃないか。まさか、他に誰かいるのか?」

須藤はゴシップ好きらしく、ぶつぶつと呟き始めた。

「今後は、あの子に触るな」

藤原月が突然、そんなことを言った。

須藤はは目を丸くしだ。「ちょっと抱きしめただけじゃないか!兄が妹にするような、そういう親愛の情だよ。あの子がすごく孤独だって気づかないのか?愛情に飢えてるって、見てわからないのか?」

「それでも、お前であるべきじゃない」

藤原月はそう言って、また酒を一口飲んだ。

「じゃあ、誰ならいいんだ?まさか、お前か?正真正銘の夫なんだから、愛してやればいい。でも、果たしてそう見えるのか?」

須藤は興奮して問い詰める。藤原月のこの言い方はまるで、「あの子に触るな、あの子は綺麗だ、そしてお前は汚い」と言っているように聞こえたからだ。

ちくしょう、こいつら、血の繋がらない兄弟みたいなもんなのに!

この重度の潔癖症は、女は平気なくせに、この実の兄弟同然の自分を汚いと嫌がるのか?

藤原月はさらにイライラし、グラスに残っていた酒を全て飲み干した。

「愛してないだろう。愛してないどころか、もうすぐ離婚するんだ。愛しているのは詩織、十数年間、ずっと変わらず」

「……そうか?」

藤原月は問い返した。

「違うのか?長年、詩織だけが触れることを許されてきた。考えてみろよ、他に触れた女がいたか?他人にちょっと触られただけで、自分の皮を一枚剥ぎ取りたいくらい嫌がる潔癖症だろうが」

須藤が念を押す。

「違う!」

藤原月は不意に真子のことを思い出した。

「違う?他に誰が触れたんだ?」

須藤は本気で興味津々だ。

「真子だ」

その名前を口にすると、グラスを撫でる指の動きが止まった。

時間までもが、止まったかのようだった。

「真子ちゃん?……触らせたのか?気持ち悪くないのか?」

「あの子は綺麗だ。だから、触るな」

藤原月は念を押すことを忘れなかった。

須藤は罵詈雑言を吐きたかったが、最終的にはふんと鼻を鳴らしただけだった。「……お前、頭おかしいぞ」

「何がおかしい?」

「真子ちゃんに触るなだなんて。それに、綺麗だとも言った。海外にいたこの3年間、まだ綺麗だってどうしてわかる?まさか、愛してもいない男のために、まだあの膜を守ってるって言うのか?」

須藤は、物事を美化しすぎるなと暗に示した。

藤原月は彼の方を見た。「俺たちは夫婦だ」

「ただの名ばかり夫婦だろうが!お互いの面倒事を解消するための。仲間内ではみんな知ってるぞ!」

「俺たちの婚姻は、法律で保護されている」

「……だから、何だ?」

「婚姻中の不貞は許されない」

「はぁ!?じゃあ……お前はいいのか?」

「俺だって、当然許されない」

「……」

須藤は息を呑んだ。すぐにまた彼のそばに寄る。「つまり、言いたいのは、実はお前と詩織は長年、関係を持ったことがないってことか?」

「病人を相手に、そんなことができるわけないだろう」

「……」

須藤はその答えに衝撃を受けた。

藤原月の携帯がまた鳴り出した。また詩織からだ。彼は相変わらず出ない。須藤はそれを見て、思わず問い質した。「どうして出ないんだ?」

「もうこんな時間」

彼は淡々と言い、携帯の電源を直接切った。しかし、すぐにまた電源を入れた。

「どうしてまたつけたんだ?」

「真子から、何か連絡があるかもしれない」

「ま、真子!?」

須藤はもう我慢できない。こいつは一体どういう状況なんだ?

「あの子は今、少し大変なんだ。義母さんの……具合が、あまり良くない」

「義母さん?名ばかりの婿として、ずいぶん律儀だな。まあ、もうすぐその重荷も下ろせるだろうが」

「どういう意味だ?」

「離婚届、もうサインしたんだろう?」

「あの子はサインした」

「うん!?……どういう意味だ?」

須藤は再び困惑した。

「最近、忙しくてな。まだサインする暇がない」

「……」

須藤は内心、怒り狂いそうだった。こいつは潔癖症どころじゃない、根本的に病気だ、それも末期がんだ!

須藤はもう彼と話したくなくなり、ただ真子にメッセージを送った。

真子は須藤からのメッセージを受け取った。

「真子ちゃん、お兄さんから質問。もし今、君に言い寄ってくる男がいたら、考えるかい?」

「離婚したら」

須藤はようやく少し気が晴れ、携帯を藤原月の目の前に突き出した。

藤原月はそれを見て、無意識に眉をひそめた。彼も真子の連絡先は知っていたが、もう何年も連絡を取り合っていないような関係だ。

「どうして連絡先を知ってるんだ?」

藤原月は彼の携帯を取り上げ、二人が友達追加した日付を見た。そして、黙ってタイムラインを開いた。

彼女の最新の投稿は空港でのものだった。スーツケースは見覚えがある。

「……たぶん、家に帰るところなんだろうな」

「たぶん」とはどういう意味だ?

藤原月は携帯を彼に返し、クラブを出た後、車は病院の前に停まった。

運転手は、病院の中を見つめたまま動かない社長に振り返り、尋ねた。「藤原社長、中には入られないのですか?」

「ああ」

「……」

運転手は仕事が終わって帰りたかったが、結局、行儀よく前席に座り、社長のために仕切り板を上げ、こっそりと恋人にメッセージを送るしかなかった。

藤原月は病院の暗い窓を見つめていた。その人に対して、本で読むような胸のときめきを感じたことは一度もない。愛してはいないのだ!

慣れた、だろうか?

その名前が、自分の隣に書かれて、もう3年になる。

ここ数日の自分の行動に疑問を抱かずにはいられなかったが、すぐに答えも出た。

藤原月はその後、彼女とのLINEのトーク画面を開いた。友達になってからもう何年も経っているのに、中は空っぽだということに気づく。

彼女のタイムラインを開くと、えっ?

なぜ何も見えないんだ?