野村香織は尋ねた。「いつ帰るの?」
田中進は笑って言った。「君次第だよ」
野村香織は探るように聞いた。「今夜?」
田中進は頷いた。「すぐに航空券を手配させよう」
祖母は今、非常に危篤な状態で、ICUで生命維持装置に頼らなければならないほどだった。ただ意志の力だけで踏ん張っているのは、最後に娘に会いたいという一心からだった。そうすれば安らかに天国へ旅立てるだろう。野村香織の思いやりある態度に、田中進は心を打たれ、彼女という人物を一段と高く評価するようになった。
野村香織は隣にいる斎藤雪子を見て言った。「雪子、残りの仕事は斎藤社長に任せて」
斎藤雪子は頷いた。「分かりました」
今夜、彼女も野村香織の本当の身分に驚かされた。香川市の田中家の姪、将軍田中孝雄の孫娘、香川県市役長田中進の従妹という身分は、これからの香川市での生活を保証するものだった。
親族との再会も済み、野村香織の心の中の疑問も全て解けた。しかし、もう食事を続ける気持ちにはなれなかった。彼女の心はすでに香川市へと飛んでいたからだ。
「お兄さん、私は荷物を整理しに帰るわ。空港で会いましょう」野村香織はバッグを手に取り立ち上がった。
この「お兄さん」という呼び方は、まだぎこちなかった。26年間、誰にもこの言葉を使ったことがなかったからだ。田中進とは10歳も年が離れており、二人の立場にも大きな差があったが、田中進の彼女への気遣いと好意は感じられた。それは兄が妹に対して抱く愛情と好意だった。
しかし、このぎこちない「お兄さん」という一言は、冷たく厳しい政界で奮闘してきた田中進の心に大きな波紋を投げかけた。野村香織が「従兄」ではなく「お兄さん」と呼んだことは、彼女が心から彼を受け入れ、兄として認めたことを意味していた。野村香織とは違い、田中家の一人息子として、彼はずっと家族の期待を一身に背負ってきた。そのため、これまでの人生は非常に疲れるものだった。さらに同世代の兄弟姉妹がいなかったため、彼はとても孤独を感じていた。しかし今は違う。妹ができたのだ。従妹とはいえ、野村香織のこの「お兄さん」という一言で、今日からは彼女を本当の妹として扱うことを決意した。
レストランの入り口で。
野村香織は傘を差しながら言った。「お兄さん、秘書に空港まで送らせるわ。私は自分の車があるから」