水野月奈は相変わらず落ち込んでいて、声も小さく「でも、蓮さんは、こんなに素敵な方なのに……。もし、この手が治らなかったら、障害者になってしまう。そんな私じゃ、あなたに相応しくないわ……。もし、手が元に戻らなかったら……蓮さんは、私のことなんて忘れて……詩織お姉様と、仲良く暮らしてください。私、恨んだりしませんから……」
藤丸詩織の名前を聞いて、桜井蓮の脳裏には先ほど彼女が離婚を迫った時の決然とした表情が浮かんだ。
彼は首を振った。あの女が本当に離婚する気なんてあるはずがない。
「蓮さん?」水野月奈は長い間桜井蓮から返事がないので顔を上げると、彼が今ぼんやりしているのに気づいた。それを悟った彼女は、歯を食いしばりそうになった。
桜井蓮は眉をしかめ、我に返って水野月奈に真剣に言った。「相応しいとか、相応しくないとか、そんなこと言うな。……月奈、もうあの女のことは口にするな。俺、桜井蓮は、君だと決めたんだ。君がどんな状態になろうと、必ず、君と結婚する」
「本当ですか、蓮さん?」水野月奈は大きな目を開いて、涙がまだ頬に潤んでいた。彼女は桜井蓮を見つめ、瞳には期待が満ちていた。
水野月奈は元々柔らかな容姿で、大きな病衣を着ているとより小柄に見え、今は涙を浮かべた顔つきで、一層可哀想で愛らしく見えた。
しかし桜井蓮は水野月奈の頬の涙を見ても、心が痛むどころか、また藤丸詩織のことを思い出してしまった。
彼が出て行った後、あの女もきっとこっそり泣いているだろう。
水野月奈はもちろん桜井蓮の様子の変化に気づいた。布団の中で手を握りしめ、「蓮さん、本当に、そう思ってくださるの……?」
桜井蓮は再び我に返り、急いで藤丸詩織の顔を頭から追い出して答えた。「ああ、もちろんだ!」
「蓮さんって本当に優しいです!」水野月奈はそう言いながら、桜井蓮を見る瞳は輝いていた。そして思いやりのある口調で尋ねた。「蓮さん、お仕事でお疲れではありませんか……? 私を抱きしめて、少しお休みになりますか……?」
桜井蓮は水野月奈の誘いを聞いて、そのまま頷いて応じた。「……ああ、少し、休ませてもらう」
桜井蓮は自分がきっと疲れているんだと思った。そうでなければ、なぜ藤丸詩織のことを考えてしまったのだろう?
本当は水野月奈が好きなはずなのに。しかも水野月奈は自分の身の危険も顧みず彼を救ってくれた。これは藤丸詩織のような打算的な女には一生できないことだ。
水野月奈は桜井蓮が承諾するとは思っていなかったので、一瞬表情が硬くなったが、すぐに元に戻り、いつもの笑顔を浮かべて、自ら手を伸ばして桜井蓮を抱きしめた。
桜井蓮の心をさらに掴むため、彼女は入念に交通事故を計画し、医者まで買収して、彼女の手の怪我を重症に見せかけた。
結果は証明された。桜井蓮は結婚記念日に妻を置いて彼女に会いに来たのだ。
そう考えると、水野月奈は口元に得意げな笑みを浮かべた。
彼女は今や桜井蓮を手中に収め、桜井奥さんの座にも着々と近づいている!
水野月奈は確信していた。桜井奥さんになれば、桜井家の資産も同様に手中に収められる。そうなれば栄華富貴は尽きることがない!
一方、藤丸詩織は、今オフィスの主席に無関心そうに座っていた。
全員が揃ったのを見て、藤丸詩織は淡々と口を開いた。「皆様お揃いのようですので、一つ、発表させていただきます。私が、この会社の新しい会長に就任いたします。今後、藤丸グループは、私が指揮を執ります」
藤丸詩織の言葉が落ちると、下に座っている人々は議論を始め、騒がしい声が混じり合った。
藤丸明彦はこの光景を見て、満足げに口角を上げた。
先ほど藤丸詩織が取締役会長になると聞いた時、表立って対立したくなかったので素直に同意したが、部下たちに反対するよう手配していたのだ。
藤丸詩織は下の人々の騒ぎを冷ややかに見つめ、一言も発しなかった。
藤丸明彦は立ち上がって、「詩織、君が株式の50%を保有しているのは確かだが、こちらもまた50%を保有している。これでは、衆目を納得させるのは難しいだろう。それに、私が3年間会長を務めてきたのだ、君より経験もある。どうだろうか、ここは……」
藤丸明彦の言葉が終わらないうちに、森村生真(もりむら いくま)がオフィスのドアを開け、歩きながら言った。「たった今、私が保有する株式1%を、藤丸詩織さんに譲渡いたしました。これで、持ち株比率は51%になりです。……納得いただけませんか?」