017 本当に慣れない

榊蒼真は嬉しかったが、少しだけ冷静さを取り戻した。「今すぐ帰国しなければならない。広告の担当者と相談して、延期できるなら延期してほしい。できないなら補償金を払おう」

「分かりました」長谷正樹は承諾すると、すぐに担当者を探した。

担当者はこれを聞くと、延期を願い出て、むしろ懇願するほどだった。

榊蒼真の撮影を依頼するために丸一年準備をしてきたのだ。しかも、榊蒼真は良い商品の広告しか引き受けないため、世界的な評価も非常に高かった。

どの企業が榊蒼真との撮影を実現できれば、それは世界中にその商品の質の高さを証明することになり、注文が殺到することを意味していた。

せっかく手に入れたこのチャンスを、どうして手放せるだろうか?

そのため担当者は何度も念を押した。「長谷マネージャー、必ず榊さんに私どもの広告のことを忘れないよう伝えてください。補償金は要りません。榊さんの撮影を待ちます。しばらく待つどころか、十年待っても構いません!」

長谷正樹は何度も頷いて答えた。「はい、はい、必ず覚えておきます。ご安心ください」

担当者:「絶対に忘れないでくださいよ!」

長谷正樹:「はい!」

……

藤丸詩織は一日中仕事に追われ、その時間の分だけ怒りも募っていった。たった三年で会社をこんな状態にしてしまうなんて、一体どうやったのか理解できなかった。

会社の内部はほぼ完全に空洞化され、三年前の十分の一にも満たない状態だった!

久我湊は藤丸詩織の健康を心配し、彼女が怒りに任せている時でも優しく諭した。「社長、もう怒るのはやめましょう。一日中働いて、感情的になっていては効率も上がりません。気分転換に連れて行きましょうか?明日また処理しても」

藤丸詩織は目を閉じ、深いため息をついてから答えた。「そうね」

十分後、車は京都で最も繁華な地区に停まった。藤丸詩織は看板を見上げ、久我湊に尋ねた。「私をバーに連れてきたの?」

久我湊は藤丸詩織を中に案内しながら説明した。「そうです。外観は周りのバーほど派手じゃないですが、中は最高に盛り上がりますよ。私、たくさんのバーを回って比較した結果、ここが一番いいという結論に達したんです」

しかし突然何かに気付いた久我湊は足を止め、振り返って藤丸詩織に優しく尋ねた。「社長、もしかしてここは好みじゃないですか?そうなら、別の場所に変えましょうか」

久我湊は非常に後悔していた。社長が記憶喪失だったことを、どうして忘れてしまったのか。

三年前はバーが好きだったけど、記憶喪失の間の習慣の影響で、今は好きじゃなくなっているかもしれない。

「そんなことないわ」藤丸詩織が答えた後、久我湊が付いてこないのに気付き、振り返ると、後悔の表情を浮かべながら自分の頭を叩いているのが見えた。

藤丸詩織はそれを見て言った。「嫌いじゃないわ。ただ長い間来てなかったから、少し慣れていないだけよ。入りましょう」

「はい」藤丸詩織の言葉を聞いて久我湊は急いで答えたが、完全には信じておらず、社長が自分を慰めているだけだと思っていた。

あんなに輝いていた社長が、桜井蓮のそばで多くの苦しみを味わったことを考えると、久我湊は心の中で桜井蓮への嫌悪感を募らせ、最も印象に残る方法で桜井蓮を懲らしめる計画を練っていた。

同様に、久我湊はいつでも準備を整えており、藤丸詩織の命令一つで行動に移せる状態だった。

しかしバーに入ってわずか数分で、藤丸詩織はバーの雰囲気に溶け込んでいった。

久我湊はようやく、先ほどの心配は全て取り越し苦労だったと気付いた。藤丸詩織が言った通り、本当に単に慣れていないだけだったのだ。

バー内では色とりどりの光が点滅し、耳をつんざくような音楽が流れていたが、藤丸詩織はそれを聞くと、血が沸き立つように音楽に没頭していった。

会社への苛立ちや、三年間の記憶喪失による空虚感が、この瞬間にすべて解き放たれた。

藤丸詩織は午前中着ていたスーツを脱ぎ、中の赤いドレスを見せ、束ねていた髪を解き、ステージで妖精のように踊り始めた。