逢坂 ティオ


「藤丸詩織、君との結婚は、祖父を安心させるためだけだ。祖父を救ったのが他の女だったら、迷わずそっちを選んでいたさ。…勘違いするなよ？」
夫、桜井蓮からの心無い言葉に耐え続けた、三年間の偽りの結婚生活。
突然記憶がよみがえらなければ、自分がかつて掌中の珠と育てられた令嬢だったことすら、忘れてしまうところでした。
なぜ、こんな男のために三年間も……？ それなのに、こいつは……他の女を愛していたなんて！
記憶を取り戻した詩織が、最初にした決断。
それは――「離婚」！
その情報は、またたく間に社交界を駆け巡りました。
「あのスラム街上がりの娘が、桜井様と離婚ですって？」「まさか！」
「嘘でしょう？ ただの玉の輿狙いだったはずじゃ…？」
そんな噂が飛び交う中――
「フン、どうせ気を引くための駆け引きだろう。他に何ができるというんだ」
桜井蓮は、そう言って鼻で笑いますが……
ところが！
誰もがすぐに知ることになります。藤丸詩織が、あの名門の藤丸家に戻ったという事実を！
そう、彼女こそが三年前のクルーズ船事故で消息を絶った藤丸家の令嬢。
今や、名実ともに最も尊い大富豪の令嬢として、華麗に返り咲いたのだ！
「桜井様、君はもはや、あのお嬢様には釣り合わないお方ですよ」
周囲の声が、突き刺さる。
「それがどうした？ あくまで先見の明もなく、金しか取り柄のない女だ」
それでもまだ、桜井蓮は見下すことをやめません。
けれど、それも長くは続きませんでした。
桜井蓮は知らなかった。彼が見下していた女が、彼自身をいとも容易く手玉に取るほどの才能を隠し持っていたことを。次々と明らかになる藤丸詩織の別の顔。
——トップクラスのハッカー。
——神の手を持つ名医。
——国内最高のデザイナー。
そして、再会の時。
桜井蓮はすがりつくように彼女の手を取り、目に涙を溜めて懇願します。
「詩織……！ お願いだ、どんな形でもいい。ただ、そばにいさせてくれ！」

私、実に大富豪の天才令嬢ですって！？

榊蒼真は藤丸詩織の答えを聞いて、とても嬉しくなった。


思わず目尻が下がったが、心の中では疑問が残っていた。彼は不思議そうに尋ねた。「じゃあ、お姉さんはなぜずっと彼らの後ろ姿を見つめて呆然としていたの？しかも、表情が重そうだったけど」


藤丸詩織は自分の表情一つで、榊蒼真がこんなに大きな誤解をしてしまうとは思わなかった。しかも、この誤解を考えただけで気持ち悪くなった。


彼女は急いで説明した。「彼のあの知能で、どうやって桜井家を支えているのか不思議に思っただけよ」


榊蒼真は藤丸詩織の質問を聞いて、本当に考え込んだ。「たぶん、他の面での知能が仕事面で補われているんじゃないかな」


藤丸詩織は頷いて、榊蒼真の言葉にもっともだと思った。


道中、水野月奈は痛いと叫び続け、桜井蓮は額に汗を浮かべながら焦り、運転手に冷たい声で命令した。「もっと速く走れないのか？できるならやれ、できないなら明日相良健司に辞表を出して、さっさと消えろ！」


039 辞職して出ていけ