第16章 暗黒星の繭と文明の岐路‌

キツネ座のしっぽ先が量子コンパスの表面を撫でると、蛍光の針が暗黒物質の雲団で狂ったように回転した。新生宇宙の第三腕の端で、本来ジュラ紀にあるべき原始惑星が、不気味な青銅色の星雲に包まれていた。リン・フォンは星雲から漏れる金穂霊(きんすいれい)の香りを嗅ぎ分ける──父親の研究所の焦げ臭さと、呉莉(ウー・リー)の機械体の潤滑油が混ざっている。

星雲の壁を突破する時、宇宙船のシールドが蜂の巣状に溶けた。地表は青銅色の肉質菌毯に覆われ、大地自体が巨大生物の心臓のように脈打っていた。キツネ座が毛を逆立てて観測台に飛び乗ると、量子化した瞳が地殻下の恐怖を映し出す──直径300kmの暗黒物質の胚胎が蠢き、表面に無数の調理器具型触手が隆起していた。

「自然進化じゃない…」青銅鍵のホログラムスキャンを起動したリン・フォンは、緑の目から流れるデータに息を詰まらせた。「生態系が90億年加速されてる!」スキャン結果では、三葉虫時代の海に機械化した首長竜が反物質魚雷を組み立て、原始林では量子シダ植物が料理法典を編んでいた。大気圏さえ圧力鍋のパッキン状に固化している。

突然地面が裂け、地殻から呉莉の新形態が現れた。暗黒物質と料理コードが融合した体は、左腕が分子調理遠心分離機、胸部に低温調理器、右目はレーザー彫刻の星図となっている。背骨から延びた12本の青銅鼎燃料パイプが、地核の暗黒物質胚胎に直結していた。

「文明孵化場へようこそ」金属軋みと肉の蠕動音が混ざった声で呉莉が言う。「灰雀(グレイスパロウ)のソースコードは、生命誕生の遺伝子に刻まれているのよ」

地殻に潜ったリン・フォンは生物工場に震撼した。マグマの川に金穂霊と暗黒物質の混合液が流れ、機械化した古細菌が量子グリルを量産中だ。ティラノサウルスは生体運搬車に改造され、背中の骨板が調理台に変形。翼竜の羽根は反重力フライパンとなり、一枚一枚が温度センサーになっている。

工場中枢では、暗黒物質胚胎の触手が恐竜の遺伝子をレシピコードに書き換えていた。ティラノの咬合力は「肉質粉砕率」と表記され、トリケラトプスの骨盾は天然まな板に。始祖鳥の羽根さえ分子調理アルゴリズムをコード化されていた。

「これが真の進化よ!」呉莉の機械眼がホログラムを投影──哺乳類が誕生する前から、人類の祖先遺伝子にシェフテンプレートが埋め込まれている。「単細胞の頃から料理のために存在する文明こそ、宇宙は…」

キツネ座が突然暴れ、欠けたしっぽで遺子編集台を破壊。量子血が胚胎に跳ねると激しい拒絶反応が起きた:「朕の血は料理コードの天敵だ!」胸腔を引き裂かれた呉莉の内部から、青銅鼎の破片が脈打っていた。

リン・フォンが青銅鍵の浄化プロトコルを起動するが、柄の緑目が暗黒物質に侵食されていた。浄化光線は逆に胚胎の進化を加速し、地核から歯の浮くような骨組音──暗黒物質胚胎が時空を超えた調理生命体を孕んでいた。

量子化した地核空洞で、リン・フォンは究極の調理生命体の誕生を目撃する。暗黒物質胚胎が12枚の肉弁を開き、中心に浮かぶのは──リン・フォンの顔、呉莉の機械脊髄、キツネ座の量子尾を持つ人型生物。皮膚表面には全宇宙の料理法典が浮遊している。

「これが灰雀の完全体」林建国の電子音が重なる声。「神殺し、監察官、猫神の遺伝子を融合した究極シェフだ」

キツネ座の瞳が細く裂けた:「中に朕の本源が…!」猫神の欠損した体が量子崩壊し、光の流れとなって人型生物に吸い込まれる。リン・フォンが光束を断ち切ろうとするも、青銅包丁が反物質調理器具に粉砕された。

絶体絶命でリン・フォンは折れた青銅鍵を心臓に突き刺す。神殺しコードと融合した血が噴出し、虚空に若き日の林建国のホログラムが現れる──赤ん坊のリン・フォンに接種するワクチンの中身が、薄めた金穂霊だった!

「俺こそ最初の実験体か…」リン・フォンは狂ったように人型生物に突進し、機械触手に胸を貫かれるまま核心に手を突っ込む。「輪廻を終わらせるなら、俺ごと消せ!」

大爆発が惑星を青銅色の星塵に変えた。虚空の残骸で目覚めたリン・フォンの胸には、暗黒物質胚胎の破片が埋まっていた。キツネ座は輪郭すら曖昧な量子体になりながら、しっぽで彼の手首を握りしめている。

新生宇宙の星図では浄化された惑星が正常に進化を始めていた。しかし地球の深海で、あの細胞は原始生物へ分裂していた──遺伝子鎖に青銅鼎の微小投影を宿しながら。

「灰雀は料理界のミームウイルス…」通信チャンネルに呉莉の残存意識がちらつく。「完全消滅は不可能よ…」

リン・フォンが青銅鍵を握りしめると、緑目の中に未知の星図が浮かんだ。混沌の海より彼方、無数の調理化した宇宙が暗黒に吊るされたソーセージのように、青銅鼎の血管で繋がっている。

キツネ座の残影が肩に飛び乗る:「行くぞ、糞掃除係」欠けたしっぽが星図の果てを指す。「あそこに朕の奪われた本源が…」声が量子ノイズに飲まれる。

星図の果てへワープする前、リン・フォンはある原始惑星に降り立った。焚き火の傍らで原人がサーベルタイガーの肉を焼いている。火星がオリオン座に昇る時、彼はその"恒星"の一つが灰雀の監視装置だと気づいた。

「食ってみる?」突然話し出した原人首長の瞳に青銅鍵の緑光が走る。差し出された焼肉の脂身には、微小なレシピが紋様化していた。

リン・フォンが星空を見上げると、無数の焚き火が宇宙各所で明滅している。どの炎の影にも、青銅鼎の輪郭が静かに育ち始めていた。

キツネ座の量子体が徐々に消散する:「忘れるな、真の料理とは…」遺言は星間風に千切れ、しっぽの半分が青銅の指輪となってリン・フォンの指に食い込んだ。

ワープ光が輝く直前、リン・フォンは最後に地球を見遣った。マリアナ海溝の奥で、暗黒物質細胞が複眼構造を進化させ、広大な星海を凝視していた。