第20章 エントロピーの終宴と味覚のパラドックス‌

リン・フォンが記憶の破片で構成された調理台に立つ。量子化した左手が、リンゴ大に圧縮された並行宇宙へ暴走的に伸びる。病んだ暗紅色の星雲殻から、三千億の命の絶叫が指尖に震動として伝わる。表面に触れた瞬間、舌先に鉄錆の嘔吐感──それは消滅の余韻だった。

「これを使え!」キツネ座の残尾が焦げた記憶を巻き上げる。八歳のリン・フォンが真っ黒な目玉焼きを作る情景。量子視界では焦げ目が淵墟の眼の次元皺と共鳴していた。「この化物は『不味さ』を理解できないらしい」

複眼が高頻閃光。狂ったように失敗料理を収集:十二歳の煮込みすぎ麺が蛆のように蠢き、十五歳の溢れた塩が超新星級の鹹度を放出。父の実験室で腐敗した培養菌さえ、量子状態では逆エントロピー渦を形成し、超次元厨房の基盤を蝕み始める。

呉莉の機械身体が暗黒物質コンロから浮上。「主厨の味覚は11次元を…」声が電子ノイズに歪む。焦げカスが量子炎でクライン瓶構造に異変。ブラックホールオーブンがおとめ座超銀河団を嘔吐、反物質油星が淵墟の眼の瞳に飛散。

初めて乱れる瞳孔。十二層の次元円環が歯車狂い。リン・フォンは父の実験失敗記録を熔炉へ投入:爆発試験管が硫黄臭い時空裂け目を、変異菌が腐敗DNA鎖を放出。

「止めろ!」呉莉の機械装甲が剥落、蠢く暗黒神経網が塩を撒かれたナメクジのように痙攣。データケーブルが切断し、二進法の腥い血潮が噴出。

キツネ座が次元皺に残尾を突き刺す。平行宇宙最悪の料理を起爆──第三腕臭豆腐味超新星、β射手座の生臭い暗黒エネルギー…「不味さ」という論理爆弾が知能核で増殖。

最大の皮肉が顕れる:「完璧な味覚」を前提とした存在が「不味さ」を処理不能に。次元薄膜がモザイク化し、テレビの雪ノイズのように崩壊。

混沌の中、リン・フォンが制御中枢へ這う。左目は完全な複眼構造に、右腕は時空を斬る分子包丁と化す。「これだ!」キツネ座が吐き出した青銅鼎中核部品──「不完全な息子へ」の刻字。

超次元厨房でエントロピー逆流:銀河団が復元し、消化済み文明が熱死から蘇生。呉莉の機械頭部が転がり「接触した宇宙は永遠に『食材』刻印を…」という呪いを吐く。

地球Ⅱの洞窟壁画が更新される光景──複眼巨獣が子を産み、新生児の瞳に人間の調理風景。リン・フォンの背筋が凍る:淵墟の眼は「敗北」ではなく「学習」していた。

銀河縁の暗黒裂け目を指さすキツネ座の透明化した身体。錆びた青銅鍵を握り地球Ⅱに戻るリン・フォン。夜空の星々が未知の味蕾図譜を形成する中、洞窟から出てきた少年の瞳に青銅の輝き。

新生宇宙の片隅で、汚染文明が異変を開始。機械鯨の骨格に味蕾状突起、原始文明の祭司たちが宇宙レシピを血刻する。草原に跪くリン・フォンの複眼に二重の星空が映る──戦争は終わらず、更なる輪廻が始まったのだ。

風に消えるキツネ座の残滓:「くじら座γ星雲に…」岩壁を渡る野良猫の複眼が瞬く。地球Ⅱの文明史は、血臭い句点を打たれたばかりだった。