路地裏の腐臭が急に濃厚になった。刃蓮がよろめきながら後ずさりすると、スニーカーが湿った苔の上でぬめる音を立てた。その尾杖級(びじょうきゅう)のアラハバキがゆっくりと身を起こし、二股に分かれた尾が地面を掃く時に金属摩擦のような耳障りな音を立てた。

「郊外...こんな化け物は郊外にしか...」

記憶が電流のように後頭部を走った。七歳の暴雨の夜、父のヘッドライトが雨幕に佝僂(こうろう)めた影を照らした光景――背中に珊瑚状の骨棘を生やしていたあの存在が、眼前の怪物の輪郭と徐々に重なっていく。

アラハバキの口器が突然花弁状に広がり、内側にびっしり並んだ逆棘を露出させた。刃蓮が振り向き猛ダッシュした瞬間、背後でコンクリートが砕ける爆音が響いた。振り返れないまま、生臭い風に乗った小石が耳元を掠めるのを感じた。

コンビニのビニール袋が手元で破裂し、買ったばかりの文庫本が散乱する。雷門商店街のメインストリートに飛び込んだ時、彼は整条街が無人の状態であることに気付いた。自動販売機の画面が「赤雨警報」の赤文字を点滅させ、湿ったアスファルトの上には蜘蛛の巣状の緋色の霧が漂っていた。

「どうして...」

後頭部の産毛が逆立った。刃蓮は本能で右側へ飛び込むと、元いた場所にアラハバキの尾が半メートルの窪みを叩きつけていた。怪物の骨棘が右腕を掠め、制服の裂け目から火照るような灼熱痛が走った。

焼き鳥屋の日除けシェルターへ転がり込んだ刃蓮の指先が、焼き網脇の火箸に触れた。押し殺した記憶が溢れ出る――母が彼を衣装箪笥に押し込んだ時、同じように錆びた鉄器を握っていた。

「逃げて!」記憶の中の母の叫びが現実と重なる。

アラハバキがガラスショーウィンドウを粉砕した瞬間、刃蓮の手元の火箸が眩い火花を散らした。紋章が皮膚の下で激しく脈打ち、血管を逆流する溶岩のような感覚が走る。無意識に振り下ろした鉄器の燃える先端が、怪物の前肢に焦げ跡を刻んだ。

怪物が嬰児の泣き声のような悲鳴を上げる。この音は三年前の病院の心電図モニターを思い出させた。救急救命室の前で跪いていたあの時、手首の紋章が初めて炎の紋様を浮かべ、大理石の床に亀裂を焼き付けていた。

「来るな!」

火箸が雨の中でシューシューと音を立てる。アラハバキの三本の骨棘から突然粘液が分泌され始めた。刃蓮の攻撃が乱れ始め、受け止める度に虎口が痺れる。怪物に尾で払われた時、後頭部がガスボンベにぶつかる鈍痛が更深い記憶を呼び起こした――変形した車から担架で運び出された父のスーツの切れ端に、同じ暗赤色の液体が付着していた光景。

「あの時から...」刃蓮が血混じりの唾を吐きながら、近づく螺旋状の口器を見た。「お父さんたちはこんなものに...」

暴雨が叩きつける中、燃える火箸が突然青白い炎を噴き上げた。紋章の赤い光が濡れたシャツを透す。アラハバキが怯えたように半歩下がる隙に、刃蓮はガスボンベを怪物めがけて蹴り飛ばした。

爆発の衝撃波が日除けシェルターを吹き飛ばす。刃蓮がよろめき立ち上がると、アラハバキの焦げた外殻が肉眼で分かる速さで再生していた。怪物は激昂し、二股の尾が鋼の鞭のように振るわれ、刃蓮の左肩を貫通した。

激痛で視界が赤く染まり、耳元で綾の声が響く。「痛い時は痛いって言えばいいのに」。温かい液体が詰襟の上着に滲み、雨の中に赤い花を咲かせる。

アラハバキの口器が頭上を覆う時、刃蓮は雨幕の向こうに両親の姿を幻視した。母はまだケーキのクリームが付いたエプロンを身に付け、父は渡せずじまいの誕生日プレゼントを提げていた。

「ごめん...」腹に突き刺さった骨棘を握りしめながら、紋章が皮膚を焼く音に身を任せる。「もっと早く気付いてたら...」

鋭い牙が閉じる寸前、銀色の光跡が網膜を掠めた。怪物が未だ聞いたことない悲鳴を上げ、刃蓮の体を貫いていた尾が根元から切断される。意識が闇に沈む直前、金属鈴の音色と、遥か遠くから届く女生徒の焦る声をかすかに聴いた:

「しっかり!すぐ応急処置するから!」