闇が粘稠なアスファルトのように意識を包み込む。藤原刃蓮は燃える街路を走る自分を見ていた。左手には母、右手には父を引っ張っている。記憶の中では柔らかかった掌が炭化して剥がれ落ち、真っ白な指骨が露出している。遠くの雷門の大提灯が血のような赤い光を滲ませ、仲見世商店街全体を紅く染め上げていた。
「患者死亡時刻21時07分」
金属器械がぶつかる音が幻覚を破った。刃蓮の視点は手術室の天井に浮遊し、看護師が遺体に白布をかけるのを見下ろしている。若い主治医がゴム手袋を外す際、指の間に付いた暗赤色の血痕――コンビニの特売イチゴジャムを思い起こさせる色だった。
廊下に突然急な鈴の音が響いた。電子音ではなく、本物の青銅鈴の音色。夏祭りで巫女が鳴らす神楽鈴のように清冽だ。手術室のドアがぶつかり開く音と共に、びしょ濡れの少女が雨の匂いを撒き散らして突入してきた。髪先から滴る水玉が無影灯に七色の光を反射させる。
「待ってください!」少女が搬送ベッドを押さえつけた時、ポニーテールの青銅鈴がまだ揺れていた。白布をめくる動作に看護師が器材トレーを倒し、逆五芒星の刺繍がある黒い制服の袖が少年の蒼白い右手首を掠める――炎の紋章が蛍火のような微光を放っていた。
主治医が眉をひそめてベッド車を遮った:「お嬢さん、遺体に――」
言葉が完結する前に少女にネクタイを掴まれ引き寄せられる。刃蓮は彼女の瞳に黄昏の湖面に石を投げ込んだような金色の波紋が広がるのを見た。「特別災害対策課がここを接管します」放り出された身分証明書が銀の弧を描き、黒い表紙に三つの重なる勾玉が燻されている。「強心剤と血液濾過装置を即準備」
「でも患者はすでに――」
「蝕痕安定率がまだ0.7%残ってる」少女が刃蓮のシャツの裾を捲り、腹部の凄まじい傷口周辺に蜘蛛の巣状の赤い痕が浮かんでいるのを指さす。「家族には特殊集中治療室へ転院と説明する。分かりましたか?」
廊下に突然密集した足音が響く。少女の表情が変わり、少年の遺体を担いで非常口のドアを蹴破る。刃蓮の意識はロープで引かれるように7階分の床板を通過した。
暴雨が地下駐車場のコンクリートを叩きつける。少女が「設備室」と書かれた鉄扉を蹴開くと、虹彩認証装置が現れた。青い光が彼女の右目を走査する時、刃蓮は網膜に浮かび上がる金色の呪文を見た。
エレベーターが異常な速度で降下し、車内には線香と消毒液が混ざった妙な匂いが充満する。三つの油圧シャッターを通過した先に広がる空間は、SF映画の宇宙管制センターを彷彿とさせた――30メートルの高さがあるドーム天井に六角形のハニカム構造が広がり、無数のホログラムがガラス壁面を流れ、黒い制服の人影が浮遊操作盤の間を駆け巡っている。
「おい!医療班はどこだ!」少女の怒声がドームに反響する。「禁忌医療課」と書かれた合金の扉を蹴破り、青い光を放つ診察台に少年を放り投げた。
紫の結晶を研磨していた青年が顔を上げた。だらしない白衣からは私服が覗き、首には十数個の懐中時計が下がり、長い指に蛍光緑の液体が付着している。
「今度はどんな厄介を...」言葉が途中で止まる。青年が刃蓮のシャツを引き裂き、炎の紋章の3センチ上に指をかざすと、懐中時計が狂ったように回転し始めた。「鈴ちゃん、死人を協会に持ち込む理由を説明してもらおうか」
鈴と呼ばれる少女が濡れた上着を脱ぎ捨て、包帯だらけの左腕を露わにする:「尾杖級の神経毒に耐えながら完全異化してない。それにこれ...」診察台のボタンを押すと、紋章内部を流れる金色の物質がホログラム表示された。「神骸反応が出てる」
青年が口笛を吹き、六つの懐中時計が同時に蓋を開く。刃蓮はその中の一つが逆回転し、別の文字盤に十二支が刻まれているのを見た。「転生儀の起動に必要な手続きを知ってるか?ましてや彼は蝕霊使いですら...」
「彼は三年前の浅草寺事件の生存者」少女が突然声を張り上げる。「協会がガス爆発で隠蔽した荒神級ターゲットの現場で、同じ神骸波動の残滓を発見した」
診察室が激しく揺れる。青年が指を鳴らすと、全ての時計が静止した。少女を三秒見つめ、突然雪豹のような笑みを浮かべる:「医療部長に見つかったら、説教ですまないぞ?」
「先輩が時間安定器で金魚の命を繋いでた時、首席の立場も考えてなかったようだけど」少女が刃蓮の胸に符紙を貼りつけると、蛍光文字が血管を伝って泳ぎ始めた。「それに転生儀はもう起動してますよね?」
青年が呆れたように首を振り、虚空で指を高速で動かす。診察台を囲む経文の刻まれたガラス柱が立ち上がり、淡金色の液体が天井から容器に注がれ始める。刃蓮の意識が温かなものに包まれ、母の胎内に戻ったような感覚に襲われる。
「神骸共鳴率3%...7%...上昇中」青年が空中のデータフローを見つめる。「こいつ、13年前の『鳳凰事件』と関係が?」
「だから見殺しにするんですか?」少女が刃蓮の冷たい手首を握り、青銅鈴が清らかに鳴る。「あの時の金魚...」
「ストップ!」青年が投降するように手を挙げ、白衣の袖から炎形の瘢痕が覗く。「条件付きだ。こいつがアラハバキ化したら、お前が始末する」
金色の液体が鼻の穴を満たす時、刃蓮は再び燃える街路を見た。今度は母の背中に広がる炎の翼、父が握る神社の鈴紐がはっきり見える。少女の声が記憶の霧を貫く:「真実を見るまで、諦めるな...」
診察室外に耳をつんざく警報が鳴り響く。ホログラム画面に無数の赤点が表示され、アラハバキを示すカーソルが協会ビルを包囲している。青年が隠しボタンを押すと、壁体内で機械歯車が噛み合う音がする。
「匂いを嗅ぎつけた客人が来たようだ」最も古びた懐中時計を少女に投げる。「本部に連れて行け。ここは俺が引き受ける」
「でも転生儀がまだ...」
「89%の同期率で十分。こっちは1ミリ秒あれば...いや0.1ミリ秒で足りる」