折木和秋は、没落した家族の令嬢だ。
三年前、宮本深は何の前触れもなく折木和秋との恋愛関係を公表し、当主の反対を押し切って婚約パーティーまで開いた。
それによって折木和秋は京渡市で最も羨ましがられる女性となった。
よそ者は彼女を美しく優しく、高貴で優雅な人だと思っている。
しかし林知恵だけが折木和秋の正体を知っている。
デザイナーをしていなければ、彼女は間違いなく女優大賞を取っていただろう!
折木和秋の計算深さからすれば、林知恵が彼女を指摘した意図を必ず理解しているはずだ。
彼女と宮本深の結婚は既に三年も延期されており、とっくに宮本家に嫁ぎたくて仕方がないのだ。
そして案の定……
折木和秋はすぐに前に出て、林知恵がいた場所に跪き、おどおどと頭を下げた。
「当主様、私のせいです!私と知恵は体型が似ていて、顔も少し似ているので、誤解されたのです」
言葉が終わるや否や、横から疑問の声が上がった。
「でもネット上では林知恵の片思いの日記が暴露されたわよ。遡ってみると五、六年になるけど、あなたと三男様が知り合ったのは、たった三年前でしょう?」
折木和秋が最も得意とするのは、感情のこもった演技だ。
「私が先に三男様に片思いしていたのです。あれは全て私が書いたものですが、誰かに見つかったとは知りませんでした」
二筋の涙と、情熱的な眼差し、そして頬の赤みさえも絶妙なタイミングで現れた。
これを見ても、信じない者はこの世にいるのだろうか?
林知恵は前世も今世も完全に負けている。
彼女は淡々と言った。「叔父様と和秋さんは何年も前から婚約を結んだのに、叔父様が危険な目に遭った時、和秋さんが助けるのは当然のこと。きっとマスコミの連中が人目を引くために、うちのスキャンダルを捏造したのでしょう!」
この言葉を聞いて、周囲の見物人の視線は薄れ、むしろつまらなく感じ始めた。
林知恵はようやく前世がいかに無価値だったかを理解した。彼女が必死で慎重に生きても、この連中にとっては暇つぶしの娯楽に過ぎなかったのだ。
ここでは、彼女は一瞬たりとも、永遠のように感じられる。
林知恵は一歩後退し、苦々しく言った。「真実が明らかになった以上、宮本家の親族会議には邪魔しません。当主様、皆様、私はこれで失礼します」
彼女が振り返ると、深淵のような視線を感じた。
しかし、これら全ては彼女とは無関係になった。
……
大広間での出来事がどうなったのか、林知恵は知らなかった。
彼女が知っているのは、山下穂子が屋敷から部屋に戻ってきた時、表情が悪かったことだけだ。おそらく宮本家の他の人々に嫌味を言われたのだろう。
宮本家次男こと宮本石彦にはビジネスの才能がなく、当主も彼を見捨てたため、彼らは夫婦とも宮本家で常に軽んじられていた。
表向きは次男様、次男夫人と呼ばれていても、裏では権力に媚びへつらうやつらは、彼らを全く眼中に入れていなかった。
山下穂子は罰として林知恵の腕をつねった。
「あなた、頭がおかしくなったの?あんな良い機会まだ見逃したの!」
「何の機会?」林知恵は問い返した。
「昨夜の乱れた姿で帰ってきた時、私にはわかったわよ。謝る程度のことじゃない?今、外では世論が盛り上がっているのよ。宮本深が後継者の座を確保するためにも、あなたに良くしないといけないはず。あんな裕福な生活を捨てて、折木和秋に譲るの?あの女を見ていると、あざとさが漂ってくるわ」山下穂子は怒鳴った。
「人の婚約者を奪い、媚薬を使ってベッドに忍び込むなんて。しかも相手は名目上の叔父よ。そんなことして、本当に私に良い生活が訪れると思ってるの?」
林知恵は手を引き抜き、それ以上彼女を相手にしなかった。
母親として、山下穂子は特に間違っていなかった。
父親が失踪した後も、山下穂子は彼女を見捨てず、再婚する際も唯一の条件として、彼女を引き取ることを言い出した。
しかし山下穂子は男性に依存しすぎた。
宮本家は人を食らうような恐ろしい存在の集まりだ、彼女が宮本石彦に依存しても、決して良い結果にはなれないはずだ。
山下穂子の声が詰まった。「それでも人の顔色を伺うよりはマシよ!長男様は早くに亡くなり、あなたの継父は宮本深のようなビジネスの才能がない。今後の宮本家全体も宮本深のものになるのよ。もしあなたが彼と……」
「母さん、もういいよ。」林知恵は冷たく遮った。
「あなたって子は、どうして私の気持ちを少しも理解してくれないの?あなたの継父は実直だけど、もう彼の子供を産むことはできないし、宮本家の誰もが私を尊重してくれないわ。これからは結局あなたに頼るしかないのよ」山下穂子は手を上げて目尻の涙を押さえた。
林知恵も声を上げた。「だったら三男様に私と結婚しろと言って!今すぐ!」
山下穂子は言葉に詰まり、何の言葉も言えなくなった。
この家では誰も宮本深を怒らせる勇気はなかった。
彼女は当然、例外ではない。
しばらくの静寂の後、林知恵は突然何かを思い出したように、山下穂子の腕をつかんだ。
「母さん、あなたは……薬を持っているの?」
「どんな薬?」
「緊急避妊薬」林知恵は仕方なく答えた。
「あなたっだら……私はこの年だよ、どうしてそんな薬を持っているの?たとえそういうことがあっても、石彦はいつも私を気遣ってくれるわ」
「母さん、今、宮本家の人は私を監視しているはず。私のためにこの薬を買ってきてくれない?昨日は危険日だったの」
林知恵はスマホのアプリを開き、赤くマークされた日を見て、不安になり始めた。
彼女は星奈を愛している。
しかし星奈を産むことができない。
今回の星奈は、幸せな家庭に生まれるべきだ、決して彼女と一緒に苦しむべきではない。
山下穂子は眉をひそめ、ため息をついた。
「行ってくるわ。」
「うん」
林知恵はほっとした。
山下穂子は外出したが、自分で買いに行かず、信頼できると思った使用人を呼んで指示した。
使用人が去ると、山下穂子はそれ以上気にしなかった。どうせ今は全員の注目が大広間にあるのだから。
しかし山下穂子の指示が全て誰かに聞かれていたことに気づかなかった。
30分後。
山下穂子は不透明な薬の袋を持って部屋に入った。
「早く飲みなさい。時間が経ちすぎると、薬も効かなくなるわよ」
林知恵はうなずき、薬の箱の文字をチラッと見た。48時間以内緊急避妊と書かれている。
薬を取り出したが、すぐには飲まず、無意識に腹部に手を当てた。
かつてここには彼女が最も愛した娘がいた。
あんなに賢くて、あんなに可愛かった娘が。
しかし星奈に再び祝福されない誕生を経験させ、そして病床で一人で孤独に死んでいく体験は、本当にさせたくない。
あの時の星奈はどれほど怖かっただろう?
だから、星奈、ママを許して。
今世では、愛してくれる両親を見つけて、幸せに成長するわ。
林知恵は顔色が青ざめ、震える指で薬を口に入れたが、どうしても飲み込めなかった。
彼女は頭を後ろに傾け、水を一気に飲んで、自分が後悔できないようにするしかなかった。
温水を飲んでいるはずなのに、全身が冷たく感じた。
飲み込みながら、彼女の涙も一緒に落ちた。
宮本深、あなたはついに最も憎む二人から解放された。
彼女と星奈のことだ。
悲しみの後、林知恵は深呼吸し、急いで立ち上がって薬の箱を処分しようとした。
すると突然。
部屋のドアが力強く開かれ、壁に激しくぶつかり、部屋全体まで震えた。
林知恵と山下穂子は反応する間もなく、当主の部屋の使用人に両腕をつかまれた。
しばらくして、林知恵は再び大広間に連れて行かれた。
彼女は力強く前に押され、地面に倒れた。
昨夜の疲れた体は、今は歯を食いしばって何とか体を支えるのがやっとだった。
顔を上げると、以前よりもさらに嫌悪感に満ちた視線に出会った。
特に宮本深のあの墨のような瞳は、一段と危険で冷酷に感じる。
周囲は針が落ちても聞こえるほど静かだ。
中には折木和秋の低いすすり泣きが混じっている。
林知恵はその音を聞いて振り向くと、折木和秋の涙に満ちた瞳には何か深い意味が込められていた。
次の瞬間、薬の箱が林知恵の足元に投げられ、中の薬が一枚一枚散らばった。
宮本当主はテーブルを強く叩いた。
「何だこれは!はっきり言え!」
林知恵の胸が震え、事実を述べた。「避妊薬です」
宮本深は横目で見て、凍り付いたような声で言った。「ほう?避妊薬?」
引き延ばされた語尾には嘲りが込められていた。
林知恵は目を伏せ、薬の箱と薬の名前をはっきりと見た後、心が震えた。
薬の箱には確かに48時間避妊薬と書かれていた。
しかしアルミ箔のケースには妊娠促進薬と書かれていた。