名門大学の広大なキャンパス。新入生で賑わう中、開会式の空気に浮き立つ者もいれば、緊張する者もいる。だが、朝広 巧(あさひろ たくみ)はそこにただ「存在している」だけだった。
死んだような目が、内側に広がる空虚をそのまま映していた。
他の学生たちは高級なスニーカーやブランドのジャケット、高価なアクセサリーで身を包んでいた。一方で巧は群衆に紛れ、目立たず、平凡で、何の印象も残らない存在だった。彼がこの場にいられるのは、ただ奨学金のおかげだった。
そのとき、遠くから花沢 結希(はなざわ ゆき)の姿が目に入る。霧島 有介(きりしま ありすけ)と楽しそうに話し、笑っていた。巧は立ち止まり、しばし彼女を見つめた——まるで何も変わっていないような、無邪気で眩しいその笑顔。
まるで引き寄せられるように、結希の視線が巧を見つけた。二人の目が合った瞬間、巧の中で時が止まった。胸が締めつけられる。
いつものように彼女は笑顔で近づいてくる。
「たくみちゃん!ここで会えるなんて思わなかった!まるで高校の時みたいだね!」
巧が返事をする前に、結希は明るく続けた。
「たくみちゃん、ねえ?」有介がちらっと彼女を見てから、巧に視線を戻す。「ずいぶん親しげな呼び方だな。高校時代、そんなに仲良かったのか?」
結希は軽く笑いながら手をひらひらさせた。「そんな大したことないよ。ただの癖みたいなもの。たくみちゃんはただのクラスメートだったの。」
「えっと、たくみちゃん、こっちは彼氏の有介!前に出会って、同じ学部なんだよ!」
巧は無理やり頷いた。「ああ、そうなんだ。」
自信に満ちた態度で有介が結希の腰に手を回す——所有を誇示するような動きだった。
「それで、有介、こちらはたくみ!高校のクラスメートだったんだよ〜」
結希はあっさりと紹介する。巧の胸の内に渦巻く感情など気づく様子もなかった。
有介はちらっと巧を見て、少し間を置いてから手を差し出した。どこかぞんざいで、上から目線のような握手。
巧はその手を見つめたが、反応はほとんどしなかった。
「ただのクラスメートか……」
その言葉は、彼の心に何度も何度もこだました。
希望は、少し浮かび上がったかと思えば、それ以上に深く沈む。
霧島 有介は、恵まれた家に生まれた。名のある家系、どんな扉も開ける家柄、そして成功が約束されたような鋭い頭脳。常に頂点に立ってきた。知性、魅力、富。そのすべてを兼ね備えていた。
だが、そこにいたのは朝広 巧。
何も持たない「無名の存在」。地位もコネも存在感もない、ただ静かで淡々とした男。
それなのに、何度試験を重ねても、巧の名前は常に一位にあった。有介は夜遅くまで勉強に明け暮れ、限界まで自分を追い込んだ。だが結果発表の日、二位にあるのは決まって自分の名前だった。
最悪なのは——巧がそれにまったく興味を示していなかったことだ。
「今学期の最優秀成績者は……朝広 巧さんです。」
講義室に、驚きと感嘆の拍手が広がる。だが、巧は何も反応を示さない。誇らしさも、喜びも、何一つない。まるで「当然」と言わんばかりの無関心。
「……何様のつもりだ。」
有介は奥歯を噛みしめた。自分にはすべてがあるはずだった。それなのに、巧だけがいつも上に立つ。
隣を見ると、結希が何気なくつぶやいた。
「たくみちゃん、やっぱりすごいよね。高校のときからずっとあんな感じだったけど、まさかここでもトップなんて……すごいなぁ。」
その言葉が、胸の奥に刺さった。自然体で語られるその称賛が、嫉妬を増幅させる。
拳を握りしめ、爪が掌に食い込む。結希の言葉が、内側から彼を蝕んでいく。
「……黙れよ。」
口から出たのは、怒りに満ちた声だった。
結希が目を見開く。「……アリちゃん?」その声は小さく、困惑に揺れていた。
有介は無言で立ち去る。
そして、出口付近に立っていた巧のもとへ向かう。彼はバッグのストラップを直していたが、有介の殺気に気づいていた。
「……おい、朝広。」
低く、押し殺した声。その声には、強い嫉妬と怒りがにじんでいた。
「お前……何様だよ。」
一歩踏み出し、拳を握り締める。
「何度トップに立とうと、お前は結局“何者でもない”。」
ようやく巧が顔を上げた。その視線は鋭く、冷たく、そして容赦がなかった。
そこには勝者の誇りもなければ、怒りもない。ただ、何も感じていないような無関心。
だが、その無関心こそが、有介にとっては最も屈辱的だった。
わずかに口元を歪める巧。その視線は重く、有介を見下ろしていた。まるで虫けらでも見るような眼差し。
「全部持ってるはずなのに、俺に勝てないな、霧島。」
感情のこもらない声が、有介の中で何かを壊していく。だが、本当に火をつけたのはその言葉ではない。
——あの目だった。
すべてを見下すような、冷たく、傲慢な目。
昼下がりの学食。安くて味気ないいつもの昼食をつつきながら、朝広 巧(あさひろ たくみ)は一人で座っていた。周囲の騒がしさも、テレビの機械的な音も、彼にはほとんど届いていなかった。
テレビの音声がぼんやりと流れる。
「南極の先に、これまで記録されていなかった新たな土地が発見されたと、研究チームが報告しました。この発見は、世界の常識を覆すものとして、今世紀最大の地理的発見とも言われています。」
巧の視線が、わずかにテレビ画面へと向く。映っていたのは、ぼやけた構造物と氷に覆われた荒れ地の粗い映像。歴史を変える可能性を秘めた発見だった。
彼は一度だけ瞬きをしてから、視線を再び自分の食事へと戻した。南極のその先に何があろうと、彼自身の存在の重みの方が遥かに重かった。
小さくため息をつき、黙って一口食べる。
味気ない食事。だが、彼にとって味などどうでもよかった。思考は別の場所にあり、単調な日常の中で、ただ沈んでいた。
——そのとき、足音が近づいてくる。
「たくみちゃん!」
心臓が、一瞬跳ねた。
顔を上げると、そこにいたのは——花沢 結希(はなざわ ゆき)。ひとりだった。**霧島 有介(きりしま ありすけ)**の姿はなかった。
その瞬間、周囲の喧騒も、積み重なった疲れも、すべてが霞んで消えた。
「偶然だね!ここで会えるなんて思わなかったよ。」
彼女はそう言いながら、巧の向かいの椅子を引いて座る。
巧はまばたきをしながら、言葉を理解しようとした。こんなふうに二人きりで話すのは、何ヶ月ぶりのことだっただろうか。誰かに邪魔されることもなく、距離を感じさせる空気もなかった。
「アリちゃん、今日は来てないの。」彼女は何気なくそう言った。まるで巧の心を読んでいるかのように。「ちょっと用事があるって。」
巧は息を吐く。その胸に、妙な感情が広がっていく。
安堵?それとも——希望?
ただの雑談。他の人からすれば、何の意味もないようなありふれた会話だった。
だが、朝広 巧にとっては違った。ただ彼女の正面に座り、言葉を交わすこの瞬間こそが、長い間で一番幸せだと感じられる時間だった。彼はこのひとときを、終わりが来ると分かっていながらも、必死に心に刻もうとしていた。
花沢 結希は、無意識のうちに飲み物をかき混ぜながら、ふと懐かしそうに目を細めた。
「ねえ、なんか高校のとき思い出すよね。」
小さな笑いとともに、彼女はそう言った。
巧は、手を止めて食べかけのご飯から目を上げる。どう返していいのか分からなかった。
「当時、たくみちゃんっていつも静かだったけど、なぜか毎回ランキングのトップにいたよね。“あの人は勉強なんてしてないで、テスト用の裏コードでも持ってるんじゃない?”って、みんなで冗談言ってた。」
巧は小さく笑った。それは面白かったからではなく、彼女の口からそんな昔の話が出てきたことが、どこか現実味を感じさせなかったからだ。
「覚えてる? 数学の先生の解法、たくみちゃんが間違いを指摘したときのこと。先生、最初すごく怒ってたのに、結局あとで自分のミスに気づいて、しぶしぶ認めてた。あれ、本当に面白かったよね。」
巧はただ頷いた。心は、今と過去の狭間をさまよっていた。
忘れようと必死だった記憶。それを、かつて大切にしていた人が、こんなにも簡単に呼び起こしてくる。
結希は小さくため息をつき、頬杖をついた。
「でもさ……それにしてもすごいよ、たくみちゃん。」
巧は瞬きをした。「……何が?」
彼女は首をかしげた。
「たくみちゃん、前から頭良かったけど、まさかこの大学でも一番になるなんて思ってなかったから。」
巧の手が止まる。
「ここって天才ばっかりって有名じゃん? それなのに、全部で一位って……テストも、コンペも、教授たちの期待も、全部超えてくるなんてさ。ほんと信じられないよ。」
彼女は笑って首を振った。
巧は何も言えなかった。何かを感じるべきだった——誇りとか、達成感とか、喜びとか。でも、何も感じなかった。
結希は再びため息をついて、背伸びをしながら腕を上げた。
「はあ、大学ってこんなに疲れるもんなんだね。課題とか、試験とか、レポートとか……ほんとしんどい。」
巧は黙って聞いていた。皿の上に残ったご飯を、箸で静かに混ぜていた。
彼女は深く息を吐いた後、ふと柔らかく懐かしげな笑みを浮かべた。
「……あの時、アリちゃんと旅行行ったときのこと思い出しちゃった。」
その声の温かさが、巧の胸をきゅっと締めつけた。
「ほんの短い旅行だったけど、何も考えずにリラックスできて、本当に最高だったんだ。学校も、ストレスも、全部忘れて……たまにはそうやって現実から離れるのって、すごく大事なんだなーって思った。」
彼女が語るのは、愛と幸福の記憶。朝広 巧には、決して与えられることのなかったもの。
ただの思い出話。彼女にとっては、それだけのことだった。
だが巧にとっては——その一言一言が、胸に突き刺さる刃のようだった。
花沢 結希(はなざわ ゆき)は、ぼんやりと飲み物をかき混ぜながら、ふとテレビに視線を向けた。ニュースキャスターがまだ、南極の先に存在する未踏の土地の発見について話していた。
「ねぇ、たくみちゃん。この“新しい大陸”の話、見てる?なんか……SF映画みたいで信じられないよね。」
朝広 巧(あさひろ たくみ)の手が、食事の途中で止まる。視線をテレビに向けると、じっと画面を見つめるその表情には、不穏な静けさが宿っていた。
「……大陸じゃない。」
彼は小さくつぶやいた。
結希は眉をひそめる。「えっ?」
巧は背もたれに寄りかかり、ゆっくりと息を吐いた。彼の思考はすでにまとまり始めていた——発表以来、ずっと胸の奥に引っかかっていた“あれ”の正体を。
「南極は、もともと大陸なんかじゃなかった。」声は静かだが、芯のある確信に満ちていた。「それは“壁”だったんだ。巨大な氷の壁。」
結希は瞬きをして、困惑した表情を浮かべる。
「壁って……どういう意味?」
巧は指先でテーブルを軽く叩きながら、まるで完璧な方程式を組み立てるように思考を並べていく。
「考えてみろよ。何世紀にもわたって、誰も自由に南極の先を探索できなかった。どんな遠征も、途中で失敗するか、止められるか、ある地点を越えられなかった。各国の政府は言い訳を並べ、条約を交わし……なぜかって?守っていたのは“土地”じゃない。——俺たち自身を囲っていたんだ。」
結希は小さく笑ってごまかすように言った。
「……それって、ちょっと陰謀論すぎない?たくみちゃん、まさか地球は——」
「丸くない?」彼は静かに、だが遮るように言った。その声は異様なほど冷静だったが、その瞳は確信に満ちていた。
「“新しい土地を南に進んで発見した”って言われた瞬間、違和感があった。もし本当に南極がただの大陸なら、そのまま突っ切って反対側に出ればよかったはずだ。でも、そうはならなかった。」
学食のざわめきが、彼の言葉の重みにかき消されていく。
「俺たちは境界の中で生きてきた、結希ちゃん。それが今、ようやく証明されたんだ。そしてメディアはその広がりを加速させてる。」
結希は身震いした。
「……でも、それが本当だったら……世界は全部、変わっちゃうんじゃ——」
巧は画面を見つめながら、静かに答えた。
「違う。」
「壊れるんだよ。」
幻想は——すでに、ひび割れ始めていた。