"氷の下の沈黙"

何千年もの間、地球は秘密を抱えていた。それは、いずれ明らかになるべき未知の奇跡。

だが、今回の“秘密”は、神を演じようとした者たちの手によって作られたものだった。時の流れに隠されたのではなく、によって封じられていた。

「南極の先にある大地」の存在は、ウイルスのように世界中へと広がっていった。発端は、とある独立系研究チームから漏れ出た報告書だった——ぼやけた画像、不安定な映像。それでも、それは否定できない“証拠”だった。

氷の壁の向こうに広がる、未踏で広大な土地。それは、世界が教えられてきた常識を完全に覆すものだった。

SNSは瞬く間に炎上した。陰謀論者たちは「やはり自分たちが正しかった」と歓喜し、懐疑派は「巧妙なフェイク映像だ」と嘲笑した。科学者たちは説明を要求し、各国政府は——不気味なほどの沈黙を保った。

だが、**朝広 巧(あさひろ たくみ)**はそれらとは異なる何かを見ていた。

そこに興奮も、驚きもなかった。ただ静かに、計算されたような“恐れ”が、彼の胸に広がっていた。

「……これは、絶対に破滅を招く。」

そうつぶやきながら、彼は記事やスレッドをひたすらスクロールする。その瞳は、確信に満ちた深い闇を湛えていた。

薄暗いアパートの中。壁の隅には、トロフィーや表彰状が雑に積まれていた。まるで、それらを得ることが“当然”だったかのように。

だが、それらはすでに意味を失っていた。忘れ去られた過去の残骸。

彼の意識はすべて、別の場所に向けられていた——南極に関するすべての情報をかき集め、記事、本、報告書……手当たり次第に目を通し、指先は止まることなくページをめくり続けていた。

あの“栄誉”の山に、彼は一度も誇りを抱いたことはなかった。彼にとってそれらは、ただの「手段」に過ぎなかった。

——働かずに、少しでも長く生き延びるための、賞金付きの生存戦略。

「人間の好奇心は危険だ。もし南極の先にあるものが本当に存在し——そしてそれを“誰か”が意図的に隠しているのだとしたら、次の展開は避けられない。」

**朝広 巧(あさひろ たくみ)**は画面を見つめながら、思考を巡らせていた。無数の可能性を頭の中で組み立て、つなぎ合わせていく。

椅子にもたれかかりながら、視線はディスプレイに向けたまま。だが、思考はすでに何歩も先を走っていた。

「もし、本当に世界を裏で操る“上層”が存在するのなら……」

「そう長くは黙っていないはずだ。」

巧は机を指でとんとんと叩きながら、低く呟く。

「……やつらは、すぐに動く。動かざるを得ない。」

声を潰し、証拠を消し、真実をねじ曲げる。それが、支配を維持するための唯一の手段。

そして、歴史が証明してきたのはただ一つ——権力を持つ者は、その支配を守るためなら、どんな手段でも選ばないということ。

彼が生きるこの世界は、いままさに崩壊の縁に立っていた。

週末を丸ごと調査に費やしたあと、巧は大学に戻った。だが、目に映る光景は何ひとつ変わっていなかった。

クラスメートたちは笑い合い、噂話に花を咲かせ、まるで何も起きていないかのように、日常を繰り返していた。

彼らは何も知らない。

彼らにとっては、今日も“いつもの日”だった。

だが、巧の中では未来はすでに決まっていた。混乱と崩壊に満ちた世界——誰も、その準備などできていない。

突然、肩を軽く叩かれた。

「たくみちゃん、おはよう!」

**花沢 結希(はなざわ ゆき)**の明るい声が、朗らかに響いた。無邪気な笑顔が、彼を見つめていた。

巧は彼女を見た。表情は読めない。だが、来たるべき未来を知る者の目で、迷いなく口を開いた。

「……結希ちゃん。俺が君を救う。」

花沢結希は瞬きをして、首をかしげたまま困惑した表情を浮かべ、そして小さく笑った。

「たくみちゃんって、本当にコミュニケーション下手だよね。」

巧はそれ以上何も言わず、ただ背を向けてその場を去った。

(……間違いであってほしい。)

歩きながら、**朝広 巧(あさひろ たくみ)**は心の中でそう思った。

(でも、もし俺が正しいのなら——

俺が、結希ちゃんを救う。必ず。)

その日の授業を終えると、巧はすぐにアパートへ戻った。

目的は変わらない。調査の続きだ。

古い書籍、アーカイブ記事、ネット上のあらゆる情報を掘り起こす——そのつもりだった。

だが——

すべての記事。

すべての投稿。

その話題に関する全ての議論が——消えていた。

検索結果はリンク切れ、削除済みアカウント、「このコンテンツは現在ご利用いただけません」という曖昧なエラーメッセージばかり。

カジュアルな会話すらも消されていた。

コメントは白紙に、動画は削除され、スレッドは途中でぷつりと途切れていた。

まるで最初から存在していなかったかのように——

「……ははっ……」

乾いた笑いが、巧の口から漏れた。だがその笑みには、恐怖が滲んでいた。

「たった三日で……?

ネットの最古のアーカイブまで……全部、消された……?」

——ピンポーン。

チャイムが鳴った。

巧は歩いて玄関へ向かう。訪問者の予定はなかった。

ドアを開けると、そこには誰の姿もなかった。

ただ、足元に一通の封筒が置かれていた。

拾い上げて、封を切る。

中には、たった一枚の紙。

黒インクで、ただ一言だけが殴り書きされていた。

「やめろ!」

巧の手に力が入る。

——警告か?

——脅しか?

それとも……忠告か?

頭の中で疑問が渦を巻く。

誰かが、自分の口を塞ごうとしているのか。

それとも——誰かが、自分を守ろうとしているのか?

封筒ひとつが、無数の問いを残していた。

——光か闇か、それでも“たくみ”は貴重だった。

朝広巧は、大学内で常に注目の的だった——

誰もが認める天才であり、同年代の学生をいとも簡単に凌駕する存在。

だが本人が気づかぬうちに、すでに二つの強大な勢力が彼に目をつけていた。

どちらも、彼を“自らのもの”にするため、動き出していた。

彼の最近の行動は、それらの興味をさらに強く刺激した。

話題となった「南極の先の大地」に関する調査。

それは単なる好奇心ではなかった。

執念に近い、執拗な追求だった。

一般人であれば、そんな調査はただの無害な行動として片付けられていただろう。

だが、巧は違った。

天才の中の天才——

その思考力そのものが、影に潜む力にとって“脅威”となり得た。

その二つの勢力にとって、朝広 巧はただの優秀な学生ではない。

彼は、決して放置してはならない“変数”だった。

――味方につけるか、消すか。

中間など存在しない。

ただ一つ、彼らが共通して理解していたことがあった。

「巧は、あまりにも価値がありすぎて、ただ捨てるわけにはいかない」

その日一日の出来事に疲れ、

そしてあの謎の手紙に心をかき乱されたまま、巧は浅い眠りに落ちていく。

——場面が、ゆっくりと“転じた”。

世界の遥か遠く、五つの謎めいた場所にて——空気は静かな緊張に包まれ、時を待っていた。

— 龍の彫刻が壁一面に施された壮麗な寺院。999本の蝋燭が、厳かな儀式の中で揺らめいていた。

— 最先端技術が光る未来的な要塞。その中央には、巨大な天使像が静かに世界を見下ろしている。

— 光る根と淡い紫の葉を持つ古の大樹。その鼓動のような輝きは、不可思議な力を湛えていた。

— 十二星座の紋章が刻まれた、ギリシャ風の神殿。その高くそびえる柱が、運命そのものを支えているようだった。

— 神聖な光に満ちた黄金の大聖堂。静けさの中、神の囁きが聞こえるような、崇高な空気が流れていた。

それぞれの聖域に、ひとりの人物が立っていた。誰もが沈黙のまま、数を数え、ただ“その時”を待っていた。

やがて時が近づき、彼らは口を開く。別々の世界にいながらも、同じ“真実”によって結ばれた者たち。

「約束の時は近い——」

待ち望まれた運命は、ついに地平線の彼方に姿を見せようとしていた。

不安定な眠りから目覚めた**朝広 巧(あさひろ たくみ)**は、その後の数日間を、焦りにも似た執念で過ごした。

消されたデータの残骸を掘り返し、何か一つでも“見落とし”が残っていないか——希望というより、執着に近い衝動だった。

だが、そのとき。

その週に報道された主なニュースの見出し

著名地質学者、食中毒による死亡か

氷河地質学の第一人者、エリアス・ラザフォード博士が、自宅で死亡しているのが発見された。当局は食中毒の可能性を示唆しているが、調査は続行中。関係者によると、博士は最近、南極での極秘調査から帰国したばかりだったという。

大気科学者、不運な事故で命を落とす

気候変動研究の第一線で活躍していたリネア・フォースベリ博士が、交通事故で死亡。警察の発表によれば、車が単独でスリップし、制御を失った可能性が高いという。他車との接触もなかったため、原因は特定されていない。

天体生物学者、強盗事件で刺殺される

地球外微生物に関する革新的理論で知られていたビクター・サラザール博士が、路地裏で刺殺体となって発見された。犯人は不明で、警察は強盗が原因と見ているが、奇妙なことに博士の所持品は一切奪われていなかった。

地震学者一家、強盗によって全員死亡

高橋 優奈博士とその家族が、自宅で何者かによって殺害された。近隣住民の証言では、その夜に異常な音や騒ぎは一切聞こえなかったという。犯人や動機は依然として不明のまま。

地球物理学者、謎の失踪——証拠は一切なし

坂本 健司博士が行方不明に。自宅に荒らされた形跡はなく、研究チームによれば、失踪前は「被害妄想気味だった」と語っている。他の科学者たちの不審死との関連性が取り沙汰されているが、当局は明言を避けている。

その見出しを見つめながら、朝広 巧の血の気が引いていった。

「……全員……」

息が詰まる。手が震えながら、**朝広 巧(あさひろ たくみ)**はスマートフォンの画面を強く握りしめた。

「全員……あの南極遠征の、主要メンバーだった。」

——真実を語ろうとする者には、永遠の沈黙が訪れる。

巧は大学の図書館で、机にうずくまるようにして座っていた。指先は本のページを無意識にめくっていたが、意識はそこになかった。

頭の中には、あのニュースの見出しがこびりついて離れなかった。科学者たち。地質学者たち。南極遠征に関わっていた者たちが、次々と不審な死を遂げていた。

「偶然……?いや、違う。多すぎる。あまりにも狙いすぎてる。」

手元の本を強く握りしめる。もし、彼らの“発見”が、これほどの犠牲を払ってでも隠されるものだとしたら——それは、単なる真実ではなく、“世界の根幹”に関わる何かだ。

頭の中で断片的な情報をつなぎ合わせながら、思考は加速していく。

「誰が……誰がこの背後にいる?」

苛立ちが込み上げ、棚から別の本を取り出す。ページをめくる手は必死だった。もはや何を探しているのか、自分でもわからない。ただ、消されていない何か……その“断片”を探し続けていた。

そのとき——

ページをめくる最中、左肩に何かが触れた瞬間、全身にビクリと電流のような衝撃が走った。

反射的に振り向こうとした瞬間、右耳に——温かな吐息がかすかに触れた。

「今夜、大学の交差点で会いましょ。」

耳元でささやかれたその声は、どこか楽しげで、ふざけたような口調だった。

「全部、教えてあげる。」

巧は動けなかった。近すぎる距離感に、背筋がぞくりと震えた。

「……誰だ、お前……?」

かすれた声でそう呟くが、返事はない。

彼女——美羅 (みら)は、それには答えず、巧の読んでいた本の横に小さな紙切れを置いた。

電話番号。

そして何も言わず、そのまま背を向けて去っていった。

彼の中に、さらに多くの“問い”だけを残して——。