第38章 彼女に自分で出ていかせる(8)

靴を履いた森川記憶は、姿勢を正して、髙橋綾人の言葉とはまったく関係のないことを口にした。「本当に申し訳ありませんでした。昨夜はご迷惑をおかけしました」

髙橋綾人は眉間を少しひそめたが、感情を込めずに、それでも落ち着いた声で言った。「どうした?お粥が口に合わなかったか?」

彼女と再会して以来、温泉リゾートで彼が彼女に皮肉を言った時を除いて、彼はほとんど彼女と話さないか、話しても数えるほどの言葉しか発しなかった。よく考えてみれば、これは4年ぶりの再会以来、彼が彼女にこれほど穏やかに話しかけた初めての機会だった。

森川記憶は何か変だと感じ、髙橋綾人を一瞥した後、しばらく黙ってから、自分の考えを続けて言った。「もう大丈夫ですので、これで失礼します」

髙橋綾人の口元が一瞬引き締まり、森川記憶は彼の目に一瞬不快感が走ったように見えた。しかし、よく見ると、男性の目は静かで深遠だった。

彼は優雅にその場に立ち、去ろうとする彼女を静かな目で見つめながら言った。「何か食べたいものはある?使用人に準備させよう」

森川記憶の記憶の中で、髙橋綾人が今日のようにこれほど忍耐強いことはめったになかった。以前なら、彼が一度でも冷静に説得してくれるだけで奇跡だったのに、今日はもう三回も説得の言葉をかけている...森川記憶の心はますます不思議に思い、しばらくしてから軽い口調で髙橋綾人に返した。「ありがとうございます。結構です」

森川記憶の言葉が終わると同時に、彼女は男性の表情が冷たく沈んでいくのを明確に感じ、部屋の空気までもが圧迫感に満ちていった。

森川記憶は30秒ほど待ち、髙橋綾人が何も言わないのを見て、足を上げて立ち去ろうとした。

彼女が一歩踏み出したとき、髙橋綾人はまた口を開いた。「食欲がないなら、薬だけでも飲んでおけ」

髙橋綾人はそう言いながら、ベッドサイドテーブルに向かって歩いた。

髙橋綾人が薬に触れなければよかったのだが、薬と聞いて森川記憶は昨夜の病気で使った費用をまだ支払っていないことを思い出し、急いで声をかけた。「高橋さん、すみません、さっきは思い出せなかったのですが、昨夜の医療費はいくらでしょうか?」

森川記憶に背を向けて立っていた髙橋綾人の姿は一瞬硬直し、それから身をかがめて磁器のボウルを置いた。