ほんの少し意識を取り戻した森川記憶は、心ここにあらずといった様子で答えた。「なんでもない……」
「本当に大丈夫?なんだか変な感じがするんだけど……」山崎絵里は心配そうな顔で続けた。
森川記憶は最初の言葉だけを聞いて、意識はまた先ほど願いの鐘が鳴った5秒間に戻っていた……
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火鍋店の外。
髙橋綾人は寒風吹きすさぶ窓ガラスの外に立ち、ガラス越しに森川記憶が山崎絵里に引っ張られて2階に上がり、その姿が完全に見えなくなった後、ようやく手を伸ばしてずっと振動していたポケットの携帯電話を取り出した。着信表示を見ると、先ほど上階のカフェで電話をかけて仕事の話をするために呼んだ菅生知海からだった。
電話に出ると、髙橋綾人は電話の向こうの菅生知海が急かす前に「すぐに行く」と言って、切断ボタンを押した。
顔を上げると、髙橋綾人はもう一度森川記憶の姿が消えた場所を見渡し、それから視線を近くの願いの鐘に移した。彼はほんの1秒ほど見つめただけで、視線を戻し、身を翻して駐車場へ向かった。
車を発進させ、髙橋綾人は手慣れた様子で車を操り、菅生知海が残業している会社へと急いだ。
約15分ほど走ったところで、ちょうど赤信号に引っかかり、髙橋綾人はブレーキを踏んだ。目の前の眩しい赤信号を見つめながら、先ほど火鍋店で真っ暗になった5秒間に、森川記憶の手を引いて彼女にキスをした場面が脳裏をよぎった。
菅生知海が彼を呼んだのは、仕事上の急ぎの用事があったからだ。
会計を済ませ、フロントでレシートを待っている間、近くで誰かが火鍋店でまもなく願いの鐘が鳴ると言っているのを耳にした。
この火鍋店の願いの鐘にまつわる伝説については、彼も少しは耳にしていた。しかし彼はもともと迷信を信じておらず、願いの鐘は火鍋店の特色あるマーケティング手段だと思っていた。だが今夜、偶然にも願いの鐘が鳴るタイミングに居合わせた彼は、フロントの女性がレシートを渡してくれた時、思わず口にした。「願いの鐘は本当にそんなに霊験あらたかなんですか?」
本当に願いの鐘が鳴る時に、好きな人にキスして告白すれば、いつか二人は結ばれるのだろうか?
フロントの女性が彼の質問に答える前に、傍らでタロットカードを整理していた店主の女性が顔を上げ、彼に微笑みながら言った。「誠心誠意あれば、叶うものです」