293 独りきり(三)

林薫織は車のエンジン音を聞いても、動じなかった。彼女は先ほど命知らずにも氷川泉を怒らせたので、氷川泉が彼女を置いていくことは予想していた。

彼女はしばらくその場に座っていたが、やがて立ち上がって帰ろうとした。そのとき、一人のウェイターが彼女の前に現れた。

林薫織はその人が何か言いたそうにしているのを見て、思わず尋ねた。「何かご用でしょうか?」

「お嬢様、こんにちは。私はこちらのマネージャーです。実は、あなた方がいらっしゃる前に、氷川さんから電話があり、貸し切りにしたいとのことでした。特別なプログラムも用意するようにと言われていたのですが、どういうわけか、氷川さんはその後のプログラムをキャンセルされました。ただ、このプログラムはお嬢様のために特別に準備したものですし、すでに用意してしまったので、このままキャンセルするのはもったいないと思います。お嬢様、お時間があれば、ぜひご覧になりませんか?」

これを聞いて、林薫織はようやく理解した。なるほど、ここにはスタッフ以外に彼女と氷川泉しかいなかったのは、氷川泉が貸し切りにしていたからだ。彼はなぜこんなことをしたのだろう?

そして、あの「プログラム」とは……

「どんなプログラムですか?」林薫織は思わず尋ねた。

「すぐに、お嬢様にはわかります。お嬢様、こちらの前庭へどうぞ」

林薫織は少し躊躇したが、結局マネージャーについて前庭へ向かった。マネージャーが言う前庭とは、先ほど彼女が窓越しに見たラベンダーの「花の海」だった。

先ほど窓越しに見たときは、ほんの一部しか見えなかったが、今、外に出てみると、このレストラン全体がラベンダーの花の海の中央に建てられていることがわかった。ラベンダーの色と西洋建築のスタイルは、違和感なく調和し、むしろ自然に溶け合っているような感覚を与えていた。

偶然にも、今夜は満月だった。ここは郊外にあり、ネオンの光の干渉もなく、空全体が明るい月に照らされていた。月光は水のように降り注ぎ、ラベンダーの「花の海」に薄い銀色の光を纏わせていた。見渡す限り、朦朧とした中に銀紫色の世界が広がり、人々を魅了していた。