第279章 演技派

橋本燃が目を覚ますと、鼻腔には懐かしい香りが満ちていた。

枕も、身体を包む絹のように柔らかな布団も、記憶の中のあの人の馴染みのある体臭を漂わせていた。

彼らは二度しか愛し合ったことがなく、二度しか同じベッドで眠ったことがなかった。

しかし彼の体臭は、まるでケシの花のように、彼女の記憶の最も深いところに消えることなく残っていた。

彼の痕跡がほんの少しでもあれば、彼女の心の奥底にある彼についての記憶が即座に呼び起こされるのだった。

広々としたベッドの上で四肢を伸ばすと、いつも起床時に感じる重だるさや疲労感が全くないことに気づいた。

頭の中も爽やかで穏やかだった。

自分の血液がすべての蝗毒を解毒できることを知ってから、この2年間、橋本燃は自分を薬の材料として扱ってきた。

こっそりと定期的に献血し、十分な量の血液を貯めて、星野輝の妻の体内の毒を解毒するための輸血に使った。

彼女は最初に弟の橋本辰に輸血しなかった。辰の体内の毒は軽度で、母体が損傷した状態で十分な栄養供給がなかったために発育不全になったのだった。

先天的な欠陥があるため、輸血をしても辰が正常な人間になれるとは限らなかった。

しかし、わずかな希望があるなら試してみたいと思い、辰が普通の人のように生活できるようになるかどうか確かめるために、十分な量の血液を貯めるべく定期的に採血を続けていた。

採血のし過ぎなのか、多くの後遺症が残っていた。

例えば、不眠や全身の倦怠感!

今や燃は毎晩不眠に悩まされ、深夜2時になってようやく眠りにつくことができた。

やっと眠りについても、6時にはもう目が覚めてしまう。

毎日3〜4時間しか眠れず、さらに定期的に採血をしている彼女は、医術に長けていて良質な薬で体を養っていなければ、とっくに採血で体を壊していただろう。

カーテンが引かれた部屋は薄暗く、燃は外の様子が見えなかったので、起き上がってベッドサイドのランプをつけた。

ベッドサイドテーブルにピンク色の付箋が置かれており、そこには流麗な筆跡で一行の文字が書かれていた。

——クローゼットに君の服があるよ!

燃の目に冷たい光が走った。この犬男は字体まで全く同じなのに、まだ温井時雄だと認めようとしない。

しかし彼が誰であろうと、彼女とどんな関係があるというのだろう?