第303章 かすかな希望

生産隊のように集団で作業をしなくなると、収穫の時に問題が生じた。当時の脱穀機はとても重く、付属品も多くて細々としていて、脱穀機を運ぶには少なくとも三、四人の人手が必要だった。労働力の少ない家庭では非常に苦労し、しかも各生産隊には脱穀機が二台しかなく、個人には売らず、くじ引きで順番に使うしかなかった。もし各自がバラバラに作業すると、刈り取った稲穂をすぐに脱穀して家に持ち帰ることができず、田んぼに一晩置いておくと、ネズミや野鳥などに荒らされたり、泥に落ちて損失が大きくなったりした。

このような状況を踏まえ、人々は自発的に互助の形を作り上げた。誰かの家が脱穀機の使用権を引き当てると、みんながその家の収穫を手伝いに行き、生産隊の時のように労働するのだ。違うのは、穀物は全て主人の家に運ばれ、食事も出されることだった。一日三食、野菜も肉もあるものだ。

こうすることで効率が大幅に上がり、各家庭が時間通りに収穫して倉に入れることができ、さらに隊の仲間同士の絆も保つことができた。とても良い方法だった。

真理子とおじいさんは毎日みんなと一緒に稲刈りをし、脱穀機を踏み、担いで運んだ。修士の体質は強く力もあったが、修行と比べると、長時間力任せに農作業をするのはかなり辛かった。幸い霊泉を飲んで疲労を素早く取り除き、体力を回復することができた。

半月ほど忙しく働いた後、真理子の家の穀物は全て収穫し終えた。おじいさんとおばあさんは彼女にもう集団労働に参加させず、家で穀物を干すだけにさせ、おじいさんは毎日一人で「労働返し」に行った。

自分の家の稲の収穫が終わって二日後、親戚が次々と訪ねてきて、収穫を手伝うと言った。

最初に来たのは花子おばさんで、末っ子の息子と若い嫁を連れてきた。以前彼女が結婚資金を借りに来た時のあの二人だ。若い嫁は赤ん坊を背負い、息子は自転車を押して、自転車の後ろには大きな包みを載せていた。花子おばさんも小さめの包みを腕にかけていて、開けてみると中は全て服とおむつだった。知らない人が見たら引っ越してくるのかと思うほどだった。