彼が何も言わないのを見て、朝比奈初は自ら沈黙を破った。「私、わかっていながら聞いているみたいね」
おそらく彼女が現れた瞬間から、長谷川彰啓の足かせになっていたのだろう。迷惑をかけたことと言えば、数え切れないほどある。
彼女のやや重々しい口調を聞いて、彰啓は眉を少し寄せ、疑問の色を浮かべながら思わず口にした。「何をわかっていながら聞いているって?」
初は顔を少し傾けて彰啓を一瞥した。彼女の目は少し暗くなったが、すぐに微笑みで複雑な感情を覆い隠した。「何でもないわ。ただ、ふと色々なことが腑に落ちただけ」
初の様子がいつもと違うことに気づき、彰啓は彼女に視線を向けた。表情には緊張感が漂い、目には異なる色が宿っていた。
彰啓は尋ねた。「何が腑に落ちたんだ?」
初は少し眉を上げ、平然とした様子で言った。「本当に知りたい?」
彼は期待と好奇心を含んだ口調で答えた。「聞かせてくれ」
初は言った。「さっきほんの数秒間、私があなたの邪魔をしているんじゃないかって思ったの。でもすぐにその考えは消えたわ。多分、気持ちの整理がついたのね」
初の表現はやや曖昧だったが、彰啓はおおよその要点を掴むことができた。
初は自分の考えを少しも隠さず、率直に彼に告げた。「よく考えたら、私はあなたのものを食べて使って、今では何でも手に入れた。そんな状態で今さらあなたの邪魔をしていると言って、離婚したいなんて言ったら、あなたはどう思う?」
突然そんな重い問題を持ち出されて、彰啓は無意識にハンドルを強く握りしめた。彼の目には複雑な感情が浮かび、心臓の鼓動は乱れた。
これは彼が初めて感じた動揺だった。失うことへの恐怖がこれほど強いものだとは。
彰啓は前方を見つめたまま、初の表情を見ようとはしなかった。
二、三秒の沈黙の後、彰啓は不安な感情を押し隠し、冷静を装って口を開いた。「でも、俺と結婚することは、お前自身の時間を無駄にしているとも言えるんじゃないか」
初はそのことをまったく気にしていないようで、好き勝手に言った。「あなたより私の方が若いんだから、何が無駄よ」
彰啓は「……」
どうやら彼だけが傷ついている世界が完成したようだ。
彰啓は信じられないという表情で彼女を見た。まるで彼女の顔から何かを読み取れるかのように。