安瑠は、自分の学歴や経歴を考えれば、小さなデザインアシスタントの職に応募したことが、周囲に疑問を抱かせたり、不思議がられたりするのは当然だと十分に理解していた。
しかし今の彼女には、もはやペンを握ってデザインを描くことも叶わず、かつて何よりも愛していたその世界に戻る術さえ失われていた。
もうデザインを描くことはできない。それでも、長年心から愛してきたこの世界を、簡単に手放すことなどできなかった。たとえそれが、ただの自己慰めにすぎないとしても——彼女はあえて身を屈め、小さなアシスタントの職に就く道を選んだのだった。
部長は診断書を受け取り、目を通した。日付は帰国とほぼ同時期で、内容にも不審な点は見られなかった。「了解しました。怪我が完治した時点で、改めてあなたの職務について検討しましょう。――今日から、あなたは翡翠の正式な社員です。翡翠を代表して、歓迎します」
部長は席を立ち、安瑠に手を差し出した。「ようこそ、翡翠へ」安瑠も笑顔で応じ、丁寧にその手を握り返した。
「ニロ、新しい同僚のために制服を二着用意して、受け取りに行って。給料から差し引くから。それと、業務にも慣れるように面倒を見てやって」部長は内線でニロに指示を飛ばした。
ニロはすぐに部屋に入ってきて、安瑠を見ると少し驚いた様子を見せたが、部長に軽く頷くと、安瑠を連れて部屋を出た。
制服を受け取った後、ニロは部長の指示に従い、安瑠をアシスタントオフィスへ案内した。新人のため、当面は特定のデザイナーには配属されないということだった。
「あなたの席はここよ。机の上の内線電話は総務部からの連絡しかかかってこないから、何か指示があったらそれに従えばいいだけ。特に難しいことはないわ」ニロの表情はあまり良くなかったが、少なくとも安瑠に対して意地悪をする様子はなかった。
安瑠は頷きつつも、内心で舌打ちをした。さすが世界五百強の中でもトップ二十に入る翡翠という企業だけあって、この制服だけでも数千円はかかっているだろう。まだ仕事を始めてもいないのに、早くも借金を背負ってしまった気分だった。
初日の仕事は思いのほか楽で、コーヒーを淹れたり雑用をこなしたり、書類の印刷をしたりといった簡単な作業が中心だった。
「これらのデザイン図をすぐ部長に届けて。部長が急いで必要としているの。私はまだコピーするものがあって手が回らないから、手伝ってくれる?」そう言って、オフィスの別のアシスタントは一束の紙を安瑠の前に置き、急いで立ち去った。
安瑠は紙の束を手に取り、入口へ向かって歩き出した。何気なくページをめくってみると、そこにはすべてジュエリーデザインの図面が描かれていた。
彼女の手のひらに突然温かな感覚が広がり、その熱が脳裏まで駆け上るのを感じた。今すぐにでもペンを手に取り、描き始めたいという衝動に駆られたのだ。
しかし、だめだった。
これらのデザイン案を見るたびに、安瑠の胸にはアメリカで過ごした三年目の恐ろしい記憶が蘇り、全身の血の気が一瞬にして引いてしまうのだった。
安瑠は図面を裏返して手に握り締め、深く息を吸い込んでからエレベーターに乗った。部長のオフィスの階に着くと、彼女は慎重にデザインサンプルを手渡し、そのままアシスタントオフィスへと戻っていった。
「永川さん、この書類を二十部コピーしてほしいわ。部長たちの会議で使うから、必ず三十分以内に終わらせてね」そう言うと、その人物は書類を安瑠の前に置き、すぐに立ち去っていった。
安瑠は手に取って書類を確認すると、全部で十数枚もあった。
彼女は書類を持ってコピー室へ向かった。コピー機はまだ印刷作業中で、安瑠は約五分ほど待ってから、中の印刷が終わるとそれらを脇にどけ、自分の書類のコピーを始めた。
彼女の担当業務はアシスタントオフィス全体の中でも比較的軽いものだったため、仕事ができることに彼女は素直に喜びを感じていた。