薄暗い部屋は、時間が凍りついたかのように静まり返っていた。机の上に置かれた小さなスタンドライトだけが、淡い黄昏色の光を放ち、その光は重苦しい空気に押しつぶされ、わずかに机の表面を照らすに留まっていた。
20代半ばの、精悍な顔つきの青年が机の前に座っていた。表情はまるで彫刻のように固く、焦点の定まらない瞳は、深い静寂の中に沈んでいるようだった。
机の上には、キラキラと輝くトロフィーやメダルが整然と並んでいた。彼は無造作に一つのメダルを手に取り、冷たい金属の縁を指先でそっと撫でた。メダルの表面に反射する光に、視線がぼやけ、まるで呼び起こされるように、過去の断片が鮮明に脳裏に浮かんだ。
「カン!カン!カン!」
彼はボクシンググローブをはめ、ムエタイのリングに立っていた。リングを囲む照明は眩しく、灼熱の光が彼の汗に濡れた額を照らし出す。
相手の試探的な攻撃を軽やかにかわし、すかさず足を振り上げ、相手の脛を力強く蹴りつけた。相手はバランスを崩し、よろめいた。その隙を見逃さず、彼は相手の頭部に強烈なフックを叩き込んだ。
相手が倒れ、彼は激しく上下する胸で息をしながら、審判のカウントを見つめた。
「10……」
「4」
「3」
「2」
「1」
審判が彼の腕を高く掲げ、勝利を宣言すると、観客席から一斉に歓声と拍手が沸き起こった。
彼の視線は騒がしい群衆を抜け、興奮して手を振る美しい少女に注がれた。彼は彼女に微笑みかけ、グローブをはめた手で頭上にハート形を作った。その仕草は少し滑稽で、少女は笑いながら、同じく頭上でハート形を作って応えた。
その記憶を思い出した瞬間、机の前の青年、佐藤悠斗の顔に、ほのかな笑みが浮かんだ。彼はその少女、清水美咲との思い出をさらに辿った。初めて手をつないだ瞬間、初めてのキス……
「ずっと愛してくれる?」美咲が尋ねた。
「もちろん!」
「誓って!」
悠斗は左腕で美咲の腰を引き寄せ、右手で彼女の頬を優しく撫で、真剣に言った。「俺、佐藤悠斗は、清水美咲を永遠に愛することを誓うよ。」
その甘い記憶を振り返りながら、悠斗の顔に浮かんでいた笑みは一瞬で消え、深い苦痛と怒りに取って代わられた。彼は拳を強く握り、関節が白くなるほど力を込め、額には青筋が浮かんだ。
「なぜだ……?」彼は小さくつぶやき、右拳で太ももを強く叩いた。人生を変えたあの場面が、再び彼を過去の闇へと引きずり込んだ。
「ブオーン!ブオーン!」
悠斗は愛用の大型バイクで高速道路を疾走していた。エンジンの咆哮と風の音が交錯し、まるで戦いの歌のようだった。
突然、脇道から猛スピードの車が飛び出してきた。反応する間もなく、バイクは車に激突し、悠斗は空中に投げ出され、地面に叩きつけられた。
「なぜだ!」悠斗は低くうめき、椅子の肘掛けを強く握りしめた。指の関節は白くなり、わずかに震えていた。肘掛けの下には滑らかな車輪――彼が座るのは車いすだった。
2年前の事故で、頸椎を損傷し、下半身が麻痺した。かつての輝かしい日々は奈落の底へ落ち、天国は無間地獄へと変わった。自信に満ちたかつての自分には、もう戻れない。
悠斗は今でも鮮明に覚えている。美咲が病院の病室で彼を強く抱きしめ、泣きじゃくる姿を。退院後も、彼女は毎日訪れ、励ましの言葉をかけてくれた。だが、それでも彼を闇から救い出すことはできなかった。彼は沈黙するか、苛立ちを爆発させるかのどちらかだった。
さらに悪いことに、美咲の瞳に映る苦痛と迷いを何度も感じ取った。彼女の心の葛藤が、まるで彼に別れを予感させた。
その日はすぐやってきた。退院後2週間目、電話が鳴った。
「悠斗? 美咲の父だ。」
「はい。」
「言いづらいんだが……話がある。」
「はっきり言ってください。」悠斗の声は冷たかった。
「……美咲はまだ若い。お前の今の状態じゃ、彼女の人生を縛ることになる。悪いが……別れてくれ。」
「分かりました。」悠斗の声は感情を押し殺していた。
彼は迷わず電話を切った。
その夜、美咲が家にやってきた。
「父さんが昼に電話してきたの、知ってる?」悠斗は彼女をまっすぐ見つめ、静かだが鋭い口調で言った。
美咲は突然の問いに動揺し、唇を開きかけたが、言葉にならず閉じた。彼女の瞳が揺れ、かすかに頷いた。
「父さんは俺たちに別れろって。美咲はどう思う?」悠斗の視線は氷のように冷たく、抑揚のない声に冷気が宿っていた。
「私……私……」美咲はうろたえ、言葉を紡げなかった。
「俺を愛してるか?」悠斗の声は低く、鋭い問いかけだった。
「愛してる!」美咲の頬を涙が伝った。「でも……」
「分かった。」悠斗は頷き、感情を押し殺した声で言った。「別れよう。」
美咲は突然、車いすの悠斗にすがりつき、泣き叫んだ。「違う! 聞いて……」
「もう何も言うな!」悠斗は彼女の抱擁を振りほどき、怒鳴った。「出て行け!」
「お願い、聞いて……」
「黙れ!」悠斗は激昂し、乱暴に美咲を突き放した。「今すぐ出て行け!」
美咲は床に崩れ落ち、涙が止まらなかった。
悠斗は無言で彼女を見つめ、部屋には彼女のすすり泣きだけが響いた。やがて美咲は泣きやみ、立ち上がって涙を拭った。
「ごめんね。」美咲の瞳には未練と罪悪感が浮かんでいた。
彼女は静かに振り返り、ドアを開けて出て行った。
余計な言葉も、別れのキスもなかった。二人の関係は終わり、完全に断ち切られた。
「キィ……」
ドアが静かに閉まり、部屋は沈黙に包まれた。悠斗は車いすにただ一人、取り残されていた。