第2章 前腕のカウントダウン

薄暗い部屋で、佐藤悠斗は心の中でつぶやいた。「俺の人生はこれで終わりなのか?」

過去の追憶を振り切り、彼は気分を紛らわすためにスマホを手に取った。Facebookを開くと、画面には友人たちの旅行写真やグルメの投稿が流れていた。彼は無意識にいくつかの「いいね」を押した。

ふと、悠斗は一人の友人が投稿した自撮り写真に目を止めた。相手の前腕を写したものだった。

「みんな、俺の腕に何か見える?」投稿にはそう書かれていた。

写真をタップして拡大してみる。

「毛しかないじゃないか!」

白くぽっちゃりしたその男の前腕には、何もなかった。

「まさか……本当に毛を見せたかっただけ?」

とはいえ、確かにその男のスマホの画質は良く、拡大すると腕の毛一本一本までくっきり見えた。

「くだらないな!」悠斗は心の中で毒づき、画面をスクロールした。

しばらくして、今度は女性の前腕を写した自撮り写真が目に飛び込んできた。

「本気で聞いてます。私の腕に何か書いてあるか見て!」と投稿に書かれていた。

「これ、最近のトレンドか? 前腕の写真を撮るのが流行ってるのか?」

悠斗は首をかしげ、何か新しいSNSの流行かと訝しんだ。

その時、突然スマホの画面に知らないインターフェースが現れた。

【異界への接続を登録し、第二の人生を始めよう!(限定1万名)】

「何だよ、この古臭いモバイルゲームの宣伝文句は」

悠斗は鼻で笑い、気まぐれに【登録】ボタンを押した。どうせこの2年間、事故で下半身不随になってから、家に引きこもり、スマホゲームに没頭するか、ネットで時間を潰し、映画や小説を漁るだけの虚無な日々だった。

【登録成功! あなたは3662番目の異界探検者です!】

スマホに【異界】という名前のアプリのアイコンが追加された。アイコンはクルミのような形の物体だった。悠斗はアイコンをタップすると、真っ白な画面に切り替わり、ただカウントダウンタイマーが表示されているだけだった。

01:38:55

01:38:54

「まだサービス開始してないのか?」

スマホの時計を見ると、夜10時22分。

「午前0時にオープンか? まぁ、いいか……」

悠斗はつぶやき、アプリを閉じてFacebookに戻ろうとした。

「!?」

突然、左腕に目をやると、そこには数字が浮かんでいた。しかも、数字は刻一刻と動いている。

01:37:13

01:37:12

黒い液晶のようなカウントダウンだった!

悠斗は目を疑い、左腕を凝視した。慌てて右手でその数字をこすってみたが、消える気配はなかった。まるで腕自体がディスプレイに変わったかのようだった。

急いでスマホのカメラで左腕を撮影したが、写真には何も映っていない。腕は普通の状態で、カウントダウンの数字はどこにもなかった。

「何だこれ?」

悠斗は眉をひそめ、写真を何度も確認したが、何も見つからなかった。

ふと、先ほどのFacebookの前腕写真を思い出した。あの二人も同じ状況だったのではないか? 腕を自撮りしていた人たちは、皆、悠斗と同じように何か奇妙な出来事に巻き込まれているのではないか?

悠斗は急いでその二人の投稿を遡った。「やっぱり……」

心臓が締め付けられるような感覚の中、「本気で聞いてます」と投稿した女性のページに新たなコメントが追加されているのを見つけた。

「ゲームに登録したら、腕にカウントダウンが出てきた。家族に見せても見えないって言うから、写真を撮って皆に見てもらおうと思ったの。今もカウントダウンは続いてる。誰か、これが何なのか教えて!」

悠斗は読みながら、胸の鼓動が速くなった。「俺も知りたいよ、何だこれって……」

他のユーザーのコメントは、「投稿者、めっちゃ面白いね」「病院行った方がいいよ」といった軽い冗談ばかりで、役に立つ情報は一つもなかった。

スマホを置き、悠斗は不安に駆られながら左腕を見つめた。

01:27:48

「ドクン!」

01:27:47

「ドクン!」

心臓の鼓動がカウントダウンのリズムとシンクロし、まるで共鳴しているかのようだった。

悠斗の呼吸は荒くなり、額に汗がにじんだ。午前0時に何が起こるのか、想像もつかない。

知らないことほど、恐怖を掻き立てるものはない。

「まさか、異世界に飛ばされるのか?」

かつての意気揚々とした悠斗は、ファンタジー映画を見た後、自分が異世界に飛ばされたら、モンスターを倒し、世界を救い、皆に讃えられるヒーローになると夢想したものだ。

だが、今の彼にはそんな自信は微塵もない。どうせ、物語の冒頭でモンスターに瞬殺されるモブキャラだろう、と自嘲した。

ふと、両親のことが頭をよぎった。

「もし俺が死んだら、両親は悲しむだろうな……」

両親が自分を深く愛してくれていることは、悠斗もよく知っていた。事故で下半身不随になり、落ち込み、自暴自棄になっても、決して自ら命を絶つ考えは浮かばなかった。両親にそんな悲しみを背負わせたくなかったからだ。

両親を思い出した悠斗は、車いすを滑らせて部屋のドアを開けた。廊下を進み、リビングに入ると、母がソファに座って夜のニュースを熱心に見ていた。

母の足元に寝そべっていたハスキーのサクラが、悠斗に気づくと一気に駆け寄り、彼に飛びついた。

「嗷呜! 嗷呜!」

「サクラ、いい子だな」

悠斗は笑いながらサクラの頭を撫でた。サクラは彼の愛犬だった。

母が振り返り、驚いたように言った。「悠斗、珍しく出てきたね?」

無理もない。事故以来、悠斗は食事の時間以外、ほとんど部屋に閉じこもっていたのだ。

「ちょっと気分転換に」

「父さんはさっき寝室に上がったよ」

「もう11時近いよ。母さんもそろそろ休みなよ」

「ニュース見たら寝るよ」

母はそう言いつつ、悠斗をじっと見て、世間話や家のことを話し始めた。

普段、食事の時間も無口だった悠斗だが、久しぶりに母とじっくり話した。話は弾み、母があくびをするまで、気づけば30分以上も話し込んでいた。悠斗は母を急かして寝室に上がらせた。

母の背中を見送り、悠斗はサクラの頭を軽く叩いた。「お前も寝ろよ」

「嗷呜!」サクラは一声鳴いて、テーブル下に潜り込んだ。

「ったく、生意気なやつ!」

悠斗は笑いながらつぶやき、車いすを滑らせて自室に戻った。