佐藤悠斗は慌てて立ち上がり、城壁から下を覗いた。紅のトカゲはピクリとも動かない。胸に引っかかっていた重い石がようやく落ちた気がしたが、息をつく間もなく、兵士の怒鳴り声が響いた。
「何ボサッとしてんだ! さっさと仕事しろ!」
振り返ると、高橋雷太がニヤッと笑いながら近づいてきた。「おい、悠斗、仕事始めるぞ!」と肩をポンと叩く。
城壁から縄梯子が二つ下ろされ、雷太と白石のじいさんが慣れた手つきで壁際のロープを引っ張り出した。
一人の兵士が言った。「下の血痕は掃除しなくていい。どうせまた何匹か引き寄せるからな。城壁だけでいいぞ」
悠斗は「は?」と頭にクエスチョンマークを浮かべつつ、雷太の後について縄梯子を下りた。
地上に降り立つと、雷太が白石に指示を出した。「じいさん、矢の回収頼んだぞ」
白石は無言で頷き、散らばった矢を拾い始めた。雷太は紅のトカゲの死体に近づき、まるで荷物を担ぐようにヒョイと背負い上げ、ロープでガッチリ固定した。
悠斗はその手際を呆然と見つめた。…こいつ、マジで何者だよ?
雷太が振り返り、ニッコリ笑う。「ほら、悠斗もさっさと背負え。俺が縛ってやるよ」
悠斗はもう一匹のトカゲの死体に近づき、引っ張ってみた。…重っ! 全然動かねえ!
「これ…めっちゃ重くね?」と息を切らしながら言った。
雷太がチラッと見て、平然と言った。「ん? 200キロちょいくらいじゃね?」
「200キロ!? んなもん背負えるわけねえだろ!」
悠斗が叫ぶと、雷太は目を丸くして、信じられないって顔でこっちを見た。
「お前…強化者じゃねえの?」
「強化者? 何それ?」
悠斗は首を振って、キョトンとした。
雷太の眉がピクリと動いた。「強化者も知らねえ? お前、どこのド田舎から出てきたんだよ?」
「いや、俺…」
言い訳を考えようとした瞬間、城壁の上から兵士の怒鳴り声が飛んできた。「グズグズすんな!」
雷太は悠斗を一瞥し、白石に叫んだ。「じいさん、お前が背負え!」
白石は矢を拾い終わったところだった。雷太をチッと睨み、渋々トカゲの死体に近づくと、悠斗に抱えてた矢の束をドサッと押し付けた。そして、ヒョイと死体を背負い上げた。
…いや、じいさんまで!?
悠斗は目を剥いた。白石は雷太ほど軽々しくはないが、しっかりした足取りで死体を背負っている。
白石が縄梯子を登り始めた瞬間、城壁の上から兵士の叫び声が響いた。「急げ! 荒獣が来るぞ!」
「マジかよ!?」
雷太と悠斗は顔を見合わせ、慌てて城壁の下に駆け寄った。だが、数歩走ったところで、闇の中から黒い影が飛び出してきた。
「疾風の獣だ!」
雷太が叫んだ。
悠斗はそいつをハッキリ見た瞬間、背筋が凍った。黒豹みたいな姿だが、全身は黒い鱗に覆われ、流れるような体型がやたらと俊敏そう。目は氷のような青い光を放ち、ゾッとする寒気を漂わせている。
四本の脚は筋肉が浮き上がり、まるで彫刻のよう。爪はナイフみたいに鋭く、キラリと光る。長い尾がスッと揺れると、空気がビュッと動いた。
そいつは低く身を伏せ、まるで次の瞬間には黒い雷になって飛びかかってきそうな気配だった。
悠斗が思考を巡らせる間もなく、疾風の獣が動いた。
地面を蹴り、グワッと深くえぐれた痕を残し、一気に悠斗に飛びかかってきた!
その瞬間、目の前で血の気が引いた。開いた血盆大口、黒い牙がギラッと光り、鼻をつく獣の臭いが襲ってくる。爪が空気を切り裂き、シュッ!と鋭い音が耳に刺さった。
時間がスローモーションになったみたいだ。
…死ぬ!
絶望が脳裏をよぎったその刹那、雷太が横からドンッと突進してきた。
「うおっ!」
雷太が悠斗を突き飛ばし、代わりに疾風の獣の爪が雷太の肩をガリッと切り裂いた。血がバシャッと飛び散り、鼻を刺す血の匂いが広がった。
雷太は「グッ!」と唸ったが、倒れず、悠斗の前に立ちはだかった。
悠斗は地面に叩きつけられ、手に持っていた矢がバラバラと散らばった。
疾風の獣は獲物を逃したことにキシャァッと怒りの咆哮を上げ、巨体をくるりと雷太に向けた。青い目が狂気を帯び、爪が地面をガリガリとえぐりながら、次の襲撃を準備している。
その瞬間、シュッ!と鋭い音が空気を切り裂いた。
城壁から放たれた矢が、疾風の獣の目の前の地面に突き刺さり、土煙が舞った。獣はサッと後退し、キョロキョロと周囲を警戒した。
続けて、シュシュッ!と矢が次々に飛んできた。獣は荒野を転がるように避け、鱗を数本かすられたが、致命傷には程遠い。
脅威を感じたのか、疾風の獣は雷太と悠斗を無視し、クルリと向きを変えた。
そして、まるで風のように荒野を駆け抜け、数秒で低木の茂みに消えた。闇に溶け込むように、その姿は見えなくなった。